ジョルジュ・スーラは、「点描技法」を発展させた新印象派の画家です。
1859年、スーラはパリの裕福な家庭に生まれました。
 国立美術学校で教育を受け、兵役についた後、パリに戻って素描を学びました。
1883年にコンテで描いた『アマン・ジャンの肖像画』がサロンに入選。
 この頃から、のちに代表作となる『アニエールの水浴』の制作を始めました。
 翌年に完成しましたが、サロンでは落選し、アンデパンダン展に出品しています。
さらに同年、『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を制作。
 この作品は、第8回印象派展に出品され話題となりました。
その後も長い時間を研究に費やし、新たな表現を求めて絵を描き続けました。
 しかし、1891年に点描による躍動感を表現するために『サーカス』の制作を始めましたが、未完成のまま病死しています。
スーラは、印象派の生み出した「筆触分割(絵具を混ぜずに小さな筆触を並べる)」という手法を発展させました。
 また、光学理論・色彩理論の研究に基づいて原色と補色を並べることで、色彩をより鮮やかに見せられると考えました。
印象派は感性に基づいた芸術、新印象派は緻密な計算から成る芸術としてそれぞれ発展しています。
スーラは短い生涯の中で「新印象派」としての地位を確立し、死後はポール・シニャックが点描法の研究を引き継ぎました。
代表作には『グランド・ジャット島の日曜日の午後』『サーカス』『ポール・アン・ベッサンの外港』などがあります。
アノラ・スペンスは、イギリス出身の女性画家です。
大学でテキスタイルデザインを学び、首席で卒業。その後フリーランスの画家・デザイナーとして活動を始めます。
 画家としての活動と並行して、美術学校やデザイン学校で教鞭を執り、マレーシアでは舞台美術を教えるなど幅広く活躍しました。
1990年頃からは画家に専念し、多数の個展や展覧会を開催。
 はじめて版画を制作した1994年以降、記録的な早さで絶版が続いています。
作品によく描かれる白い犬は、イギリス原産のブルテリアという彼女の好きな犬種だそうです。
 現在では彼女は農場に住み、動物たちと共に過ごすことでインスピレーションを得ているといいます。
人と動物が触れ合う様子を温かく色彩豊かに表現するユーモアたっぷりの作風は、国境を越えて支持され、世界中のファンを魅了し続けています。
ポール・セザンヌはポスト印象派を代表する画家であり、キュビスムをはじめとする20世紀美術に大きな影響を与えました。その功績から「近代絵画の父」と称されています。
1839年、セザンヌは南フランスのエクス=アン=プロヴァンにて、銀行員の家庭に生まれました。
法学部に通っていましたが、画家を志してパリへ渡り、ピサロと親交を深めました。
 5か月ほど経った頃に自信を失くしてプロヴァンへ帰りますが、もう一度パリで絵を描くことを決めます。
 また、この頃にモネやルノワールなどの印象派と出会いました。
その後は印象派の仲間とサロンに出展するなど、精力的に活動を続けました。
 しかし、一瞬を切り取る印象主義よりも、永続的なものや本質を描きたいと考えはじめ、グループを離れて独自のスタイルを追求しました。
暗く重厚感のある作風や印象派らしい作風を経て、彼独自の鮮やかで大胆な筆使い、対象物をデフォルメした表現へと変化していきます。
 
1880年代からは故郷に戻り、ひとり静かに絵を描き続けました。
 そして1906年、野外での制作中に大雨に打たれて体調を崩し、亡くなりました。
生前は十分な評価を得られませんでしたが、今ではポスト印象派を代表する一人として地位を確立しています。
代表作には『首吊りの家』『オーヴェルの眺め』『リンゴとオレンジ』などがあります。
アルフレッド・シスレーは、風景画で知られる印象派の画家です。
1839年、シスレーはフランス・パリにて裕福な家庭に生まれました。
 18歳でロンドンに移りビジネスを学びますが、美術への強い興味から風景画に触れるようになります。
 数年後、ビジネスの勉強を辞めることにしたシスレーは、画家を志します。
 パリへ戻るとシャルル・グレールのアトリエで学びはじめ、クロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールらと出会いました。
当時は古典的な絵画が主流で、見たものをそのまま描くという様式は不人気でした。
 このような背景から、シスレーの描いた作品がサロンで入選を果たした際も、あまり評価されませんでした。
1870年、普仏戦争の影響で父親が破産し、絵で生計を立てなければならなくなりました。
 しかし、シスレーの作品はなかなか売れず、それから生涯にわたり困窮した中で生活することになります。
そして1899年、モレ=シュル=ロワンにて喉頭癌のため亡くなりました。
シスレーの900点近い油彩作品の大部分はパリ周辺の風景を描いたもので、テイストを崩すことなく一貫して風景画を描き続けました。
 静かな自然の美しさや穏やかな時の流れを繊細に表現しており、今では高い評価を得ています。
代表作には『モレの教会』『モレ・シュル・ロワン』『積み藁』などがあります。
ポール・ゴーギャンは、ポスト印象派を代表的する画家として知られています。
 サマセット・モームの代表作『月と六ペンス』の主人公のモデルになりました。
ゴーギャンは、1848年にフランスにて生まれました。
 1851年、父親が職を失ったことをきっかけに一家はペルーに移ります。
 彼が7歳になった時、再びフランスへ戻りました。
商船の水先人見習いとして働き、兵役でフランス海軍に入隊しました。
 その後、パリ証券取引所での職を得て、株式仲買人として働きながら絵を描き始めます。
画業に専念すると決めてからは、様々な画家と交流しながら自身のスタイルを模索していきました。
 初期はルノワールやモネのような筆致でしたが、徐々に内面を反映した作風へと変わっています。
1891年、ヨーロッパの文明やしきたりから離れようとタヒチへ渡ります。
 以降、さまざまな苦労を重ねながらも生涯にわたって絵を描き続けました。
ゴーギャンは、タヒチの女性を中心に、島の文化や宗教観を平面的な表現と南国らしい豊かな色彩で描きました。
 また、エミール・ベルナールらと共に「総合主義」を提唱しています。
代表作には『タヒチの女(浜辺にて)』『黄色いキリスト』『説教あとの風景』などがあります。
1945年神奈川県横浜市で生まれた鈴木は、武蔵野美術大学に入学後、第一美術展奨励賞等を経てフランスに留学します。
1903年に創設され、現在も多くの芸術家が目指す芸術史でも歴史ある展覧会サロン・ドートンヌや1667年から開催されている世界最古の公募展ル・サロンへの出品など、ヨーロッパを中心に開催されている名だたる展覧会に出品を続けていました。
国内でも全国の百貨店や画廊で個展を積極的に開催しており、その人気は国内外問わず高いものとなっておりました。
主に油彩画で作品を手掛けており、色とりどりの鮮やかな色彩と自然や日常の風景画をモチーフにしたユニークで遊び心のあるデザインが特徴的です。
2018年に逝去するも、今現在でもその人気は衰えておらず、市場に作品が出品されると注目数が高い傾向にあります。