日本の洋画家として活動し、特に裸婦や異国風俗画を題材とした作品描いたことで知られています。
1925年兵庫県神戸市で生まれ、1949年の自由美術展出品を皮切りに、数々の作品を出品・受賞してきました。また、1952年に反戦平和美術協会を結成、1955年にはリアリズム美術集団を結成し、今現在作品の特徴的軸となる具象リアリズムの基盤を作っていきます。
1966年からは個展を開催し、1970年代は制作の為に欧州の取材旅行をするなど、多岐にわたる活躍を見せます。
生命賛歌に満ちた健康的な肉体美や、光導く美しい風景画を描く栄永氏の作品は、恍惚感に浸るほど魅力的で惹きつける力を持ち合わせています。
ゲーリー・ウェルティは、海や自然をテーマにした風景画を得意とする画家です。
1964年にアメリカ・カリフォルニア州で生まれ、10歳で油絵を始めた彼は、学生時代から数々のコンテストで入賞を重ねます。
1982年に訪れたマウイ島に魅了され、その後、マウイ島に活動拠点を移しました。移住後すぐにいくつかのギャラリーと契約を結びますが、自然と戯れることに夢中になって絵を描かなくなってしまいました。
20代後半で故郷に戻って本格的に作品制作に没頭します。企業向けイラストレーションを中心に活動し、これをきっかけに自身の作品制作に自信が持てるようになりました。
そして再びマウイ島に移り、毎日絵を描くようになります。この時期は、作品がギャラリーに掛けられるとすぐになくなってしまうほどの人気でした。現在は、故郷で創作活動を続けているとのことです。
ゲーリー・ウェルティは、スケッチや写真の模写を行わずにアクリルボードに筆を滑らせる、という独自の描き方が特徴で、「天性の画家」として多くの人に愛されています。
山下 大五郎は、風景画を得意とする洋画家として知られています。
1908年に神奈川県藤沢市で生まれ、中学校在学中は萬鉄五郎宅に出入りして絵を学びます。その後は東京美術学校に通い、田辺至、林武から指導を受けました。
卒業後は帝展や文展に出品し、高い評価を得ます。戦時中には召集・抑留生活を経験しますが、戦後は牛島憲之、須田寿らと「立軌会」を結成し、独自の画風を追求しました。
また、1983年には長谷川仁記念賞を受賞し、1987年には画集が刊行されています。
山下は、信州・安曇野の山並みや田園風景を題材に、自然の美しさと人々の営みを繊細に描きました。特にアルプスの稜線と麓の広がる風景の対比を生かした構図は、清澄で透明感のある表現として高く評価されています。
彼の作品は、日本の原風景を愛情深く捉えた重要な芸術遺産といえるでしょう。
石川 茂男は1938年、神奈川県出身の洋画家です。日本各地の原風景を描いており、題名に特定の地名が記載されている作品を多く制作しております。60歳を過ぎてからは富士山を主題とする作品を多く手掛けました。
1958年に初出品した第一美術協会展で入選し、1964年には渡欧。帰国後に初個展を開催しました。
その後、東南アジアへ遊学し、東南アジアスケッチ展 第一美術協会委員に就任されました。1972年には同会を退会して無所属となり、個展を多数開催します。さらに東南アジアスケッチ展の開催や、NHKテレビ「民家の画家」出演など多岐にわたって活躍しました。
原風景を写実的に切り取ったその作風は、どこか懐かしく穏やかで、私たちの故郷の記憶をそっと呼び覚ましてくれます。柔らかな質感と細部にわたる繊細な表現が特徴で、彼の作品は日本の風景画の重要な一翼を担っています。
河越 虎之進は、長野県松本市出身の画家です。
東京美術学校(現東京芸術大学)に通い、黒田清輝、藤島武二、和田英作、岡田三郎助などの明治に活躍した洋画家から指導を受け、外光主義を取り入れた作品を制作しました。
河越は、1921年に小田原にアトリエを構えて画業のスタートをきりました。
第8回帝展で入選し、翌年の帝展への連続入選をはじめ、数々の展覧会に入選したことで「新進作家」として注目されはじめます。
しかし、1931年に関節炎により歩行が困難になります。療養のために家族と共に信州の「崖の湯」に移り、自ら設計した「丘隅庵」を建てました。しばらくして体が回復してくると、それからは自然と対話しながら「あるがままに描く」ことを重視した制作に取り組みました。
河越は、信州の自然や風土を題材に創作活動を続け、特に人物画や風景画に優れた作品を残しました。松本市美術館には、彼の作品が多数所蔵されています。
孫 家珮は、1958年に中国・上海で生まれた画家です。
独自の油彩技法を用い、故郷の風景やイタリアをはじめとするヨーロッパの景色を繊細な筆致で描くのが特徴です。光と影を巧みに表現し、静寂の中に生命力を感じさせるその作風は、多くの人々に感動を与えてきました。
1984年に上海交通大学美術研究室を修了後、画家として活動を始める一方で、生活のために工芸品会社のスタッフとしても働きました。
1988年頃、中国の開放政策により海外渡航が可能となると日本へ渡り、数々の美術展で受賞を重ねていきます。
2001年には日本の永住権を取得し、翌年には日本現代美術家連盟の副理事長に就任しました。現在も日本を拠点に、中国やアジア各国で個展を開催し、国内外で高い人気を誇っています。