ミッシェル・ドラクロワ

言わずと知れたフランス人画家の巨匠。世界的に認知度の高い画家です。

ミッシェル・ドラクロワは1933年のフランス・パリに生まれ、幼少期は木々や花々と触れ合いながら育ちました。1950年からはエコール・デ・ボザール(高等美術学校)で学び、舞台美術などの仕事に携わりました。

1960年頃にはフランスとドイツ、二つの美術学校で教授となり過ごします。教授としての過ごす傍ら自身の製作も進め、この頃から今の作風に近い作品を作るようになります。

その後作風が認知され始め、色んな展覧会に出品し受賞歴を残します。そこからアメリカに渡り、アメリカの作品展に出品しさらなる名声を得ることになります。その後アメリカから招待をもらったことをきっかけに教職を辞め渡米、アメリカで執筆作業に力を注ぎます。その後もオリンピックとワールドカップの公認アーティストに選出されるなどし、フランスを代表する巨匠として地位を確立しました。

ドラクロワといえば、<フランスの風景>を題材にした絵画作品が有名です。劇場で観客席から舞台を見るような平面的な構図は、遠近法を多用しないことにより鑑賞者に親しみを持たせるための表現様式と言えます。このような様式は日本画の表現方法に近く、日本人に馴染み深いためバブル期から2000年代にかけて爆発的な人気がでました。当時に比べると評価が下がってきておりますが、現在でも需要が高い作家の一人です。

パリのナイーブ美術館を始めいくつかの美術館で、永久保存作品として展示されています。パリの街並みを描いた作品は世界的にコレクターがおり、数多くの方が所有されています。

古吉 弘

古吉 弘(ふるよし ひろし) 1959年~現在

1959年生まれの広島県広島市出身の洋画家になります。
京都芸術短期大学に在学中に「大徳寺絵画研究所」に通っておられました。

1980年に卒業され、8年後に花と女性美展にてグランプリを受賞されます。
以後、高島屋、三越等の百貨店にて個展を開催し2000年には、小磯良平大賞入選をされました。
2003年には第一回アートアカデミー賞入賞、2005年アメリカ合衆国アート・リニューアルセンターにて、国際公募人物蕪尾門一等賞を受賞致しました。

2010年クリスティーズのオークションにて、作品「Julien」がオークション最高額549万円で落札され、世界から注目を集めることとなり、2013年の同オークションで「MAYA」が815万円で落札、一夜にして号160万円の作家になった逸材の方になります。

モーリス・ユトリロ

ユトリロ01

1800年代後半から1900年代に活躍したフランスの画家。街並みや教会、運河などパリの風景を多く描いていました。建物などの壁面の色に使用された白色が特徴的な作品を描きます。一般的には、初期の作品より技術が上がる晩年の作品の方が人気がありますが、こちらの作家はアルコールに溺れていた初期作品の方が評価が高い傾向にあります。
20歳前後の頃モンマルトルで絵を描き始めた頃は、独学で絵の勉強をしていました。その頃用いていた技法は、印象派の画家カミーユ・ピサロやアルフレッド・シスレーが得意としていた点描技法を用いて描いていました。

1909年の春以降、光の明暗が特徴の作品を描いた時期「白の時代」と呼ばれておりモーリス・ユトリロの全盛期とされています。10年ほど続いた白の時代が終わり、作品内のフォルムを幾何学化して表現した作品を描いた「色彩の時代」へと移り変わります
。モーリス・ユトリロの肖像画や写真では髭を生やしている姿が印象的ですが、晩年にはトレードマークであった髭を剃ってしまったそうです。アルコール依存症になるほどお酒が大好きでしたが、体はとても健康的で71歳の長寿を全うしました。

寺井 重三

画面に映える目の覚めるような赤色。洋画家・寺井重三の描く作品は、光に照らされた主役を生き生きと映し出します。

寺井は1928年石川県に生まれます。大学は金沢美術大学に進学しますが、当時は日本画科に在籍し、学生時代のうちに日本画で日展入選を果たしています。しかしながら、画業の道は厳しく、小学校の教員で生計をたてていたようです。20代後半になる頃、日本画から洋画へ転向。洋画家の木下孝則に師事しました。寺井の作品・モチーフにはこの木下の作風の影響が大きく、バレリーナや静物など画題での共通点もみられます。また木下が創立に参加した一水会の会員にもなりました。

踊子・バレリーナの主題を得意とし、張り詰めた緊張感や優雅な動きまでを描き出した他、静物画では色鮮やかな花、特にバラを得意としています。

1980年の日展特選を筆頭にその評価を高め、1991年には故郷・石川県珠洲市の文化功労賞を受賞。1999年には紺綬褒章も受章しました。

鈴木 政輝

鈴木政輝は1924年生まれ、長崎県島原出身の油彩画家です。

1938年に上京して洋画家・島野重之に師事し、絵を学びました。終戦後は海外に渡航し、本場の絵や風景から多くのインスピレーションを受けます。また同時に海洋学や帆船の構造についても学んでいます。専門的に海洋学を学んだ経験から、船の細かい表現などに妥協が無くこだわりと愛着を感じます。帰国後は海洋関係のイベントに招かれる機会も多く、海洋関係の博物館にも作品が収蔵されています。

鈴木政輝は「船」を人生のテーマとして描き続け、そのモチーフや画力が評価される実力派作家です。
船には歴史がありロマンがあります。大海原を行く船は人生の希望を与えてくれるように感じ、様々な想いを巡らす事が出来ます。空は青く描かれている事が多く、ポジティブな気持ちにさせてくれます。

鈴木政輝は主にバルビゾン派絵画を学んでおり、自然主義的な風景画や農民画を写実的に描いています。また帆走中の船の印象が強いですが、帆を下して夕景に佇む船や、森や街・港を描いた作品も存在します。港を描いた作品は、夕日をバックに帆船や小型船などを描いた日常に近い温かみのある作品となっています。

井口 由多可

物語の中の世界のような穏やかな色彩で描かれるヨーロッパの街並み風景。「旅への誘い」をテーマに描いてきた洋画家・井口由多可の作品は、その穏やかな風景描写と澄んだ空気感に心が惹きつけられ、自分もこの世界に行きたい、と強く感じさせてくれる魅力が詰まっています。

1947年九州に生まれ大学は慶應義塾大学の法学部を卒業。その後は船会社に勤務しますが、多忙により体を壊してしまいます。そんなときに趣味として独学で始めたのが絵画でした。24歳の頃会社を辞め画業に打ち込むようになり、1975年28歳にして第4回現代洋画精鋭選抜展にて入選を果たします。これがきっかけとなり2年後の同展では金賞を受賞。フランス芸術家協会主催のル・サロンで名誉賞を受賞するなど、その作品が高く評価されるようになりました。
現在は全国各地の百貨店などで個展を開催する一方、自身が会長を務める旭美術協会にて後進の育成にも力を入れています。

2015年に画業40年を迎えましたが、いまだ向上心に溢れ、新たな作品に向けて研究を続けているとのことです。

 

栗原 喜依子

栗原喜依子は女性像を数多く描いたことで有名な洋画家です。 1935年に茨城県に生まれた栗原喜依子は1958年に女子美術学校洋画科を卒業し、1960年頃よりNHK美術部に勤務しながら製作活動を行っておりました。女子美術学校 …

塗師 祥一郎

石川県出身の雪深い北国の風景を描いた画家として有名なのは塗師祥一郎です。 1932年に陶芸家の塗師淡斎の長男として石川県小松市に生まれた塗師祥一郎は生まれて間もなく埼玉県の大宮に父の仕事の関係にて転居します。 しかし、戦 …

織田 廣喜

織田廣喜(1914年-2012年)は福岡県出身の「少女」をモチーフにした作品が有名な画家としてご存知の方も多いのではないかと思います。 幼い頃から父の持っていた蔵書に載っていたゴッホの絵を描くことが好きだった織田廣喜です …

グスタフ クリムト

グスタフクリムト(1862年~1918年)はオーストリアを代表する画家です。 1862年にウィーン郊外の金細工師の息子として生まれたグスタフクリムトは14歳でウィーン工芸美術学校に入学し、絵画を学びながら芸術カンパニーを …

前川 強

前川 強(まえかわ つよし)は、前衛芸術グループである『具体美術協会』に属する日本を代表する抽象画家、美術家の一人である。 1959年より具体美術協会の創設者である吉原治良に師事。 織りの粗い麻布(ドンゴロス)で『ひだ』 …

萬 鉄五郎

 萬 鉄五郎は、大正~昭和初期の洋画家です。岩手県花巻市出身です。高等小学校の頃より、その非凡な才能は知られていました。1907年、東京美術学校(現・東京藝術大学)に首席で入学します。美術学校の卒業制作は日本におけるフォ …

藤井 勉

藤井勉は秋田県生まれの洋画家です。画家を目指し、岩手大学特設美術科に入学しその後、1976年に第12回シェル美術賞展で佳作賞を取り、翌年には昭和展では優秀賞をとるなど数々の素晴らしい賞を受賞しています。藤井勉の作風は<少 …

田染 幸雄

田染幸雄は1930年に山口県徳山市に生まれます。1945年に第三海軍燃料廠幹部養成所にて就学中に終戦を迎えます。 1949年に松田康一が主宰する岩国美術研究所にて絵を学びます。 1950年徳山市で暖流会を結成します。19 …

平川 敏夫

 平川敏夫は愛知県豊川市出身の日本画家です。平川敏夫は京都の稲石着尺図案塾で日本画の基礎的な技術を学びますが、開戦のためまもなく帰郷し、中村正義との出会いによって本格的に日本画の制作を始めるようになります。初期の作風は素 …

鈴木 信太郎

鈴木信太郎は東京都八王子市生まれの洋画家です。 1910年、白馬会洋画研究所に入り黒田清輝に師事します。1913年からは八王子の府立織染学校専科に入学し、織物図案を修学しました。そののち上京し、染織図案家・滝沢邦行に師事 …

五味 悌四郎

 五味悌四郎は東京出身の洋画家です。 1918年に東京都台東区で生まれ、川端画学校を経て東京藝術大学に入学します。1945年の第1回日展から出品し、1947年からは一水会でも出品をはじめます。 その後は渡欧してパリの美術 …

平賀 亀祐

 平賀亀祐は三重県志摩市志摩町片田に、漁師の平賀利三郎の一人息子に生まれました。絵を描くことと西洋絵画への興味から、漁師を継がず、1906年3月、16歳の時、神戸港から外国船でサンフランシスコに渡りました。父親からもらっ …

秋野 不矩

インドに魅せられてインドの風景、寺院、人々を描いた日本画家として有名なのは秋野不矩でしょう。 1908年に静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)に生まれた秋野不矩は女学校に通いながら絵の勉強をしており、19歳の頃 …

山口 華楊

山口華楊は京都府中京区の出身です。 幼い頃から粘土や筆を使って動物を写すことを好み、明治45年に小学校を卒業後、岸竹堂や竹内栖鳳の弟子である西村五雲に入門しました。 病弱だった師・五雲の勧めにより、大正5年に京都市立絵画 …

斎藤 真一

斎藤 真一 1922年7月6日~1994年9月18日 瞽女(ごぜ)を題材にした作品を多く描いた事で有名な画家といえば斎藤真一でしょう。 瞽女とは盲人の女性旅芸者を指す言葉であり、各地を転々と旅しながら三味線で説話やその土 …

田崎 広助

熊本県の阿蘇山や富士山を描いていた画家として創造するのはなんといっても田崎広助でしょう。 1898年に福岡県に産まれた田崎広助は子供の頃より画家を志していたそうでしたが両親の反対があった為、美術学校への進学を諦めて福岡県 …