画面に映える目の覚めるような赤色。洋画家・寺井重三の描く作品は、光に照らされた主役を生き生きと映し出します。
寺井は1928年石川県に生まれます。大学は金沢美術大学に進学しますが、当時は日本画科に在籍し、学生時代のうちに日本画で日展入選を果たしています。しかしながら、画業の道は厳しく、小学校の教員で生計をたてていたようです。20代後半になる頃、日本画から洋画へ転向。洋画家の木下孝則に師事しました。寺井の作品・モチーフにはこの木下の作風の影響が大きく、バレリーナや静物など画題での共通点もみられます。また木下が創立に参加した一水会の会員にもなりました。
踊子・バレリーナの主題を得意とし、張り詰めた緊張感や優雅な動きまでを描き出した他、静物画では色鮮やかな花、特にバラを得意としています。
1980年の日展特選を筆頭にその評価を高め、1991年には故郷・石川県珠洲市の文化功労賞を受賞。1999年には紺綬褒章も受章しました。
鈴木政輝は1924年生まれ、長崎県島原出身の油彩画家です。
1938年に上京して洋画家・島野重之に師事し、絵を学びました。終戦後は海外に渡航し、本場の絵や風景から多くのインスピレーションを受けます。また同時に海洋学や帆船の構造についても学んでいます。専門的に海洋学を学んだ経験から、船の細かい表現などに妥協が無くこだわりと愛着を感じます。帰国後は海洋関係のイベントに招かれる機会も多く、海洋関係の博物館にも作品が収蔵されています。
鈴木政輝は「船」を人生のテーマとして描き続け、そのモチーフや画力が評価される実力派作家です。
船には歴史がありロマンがあります。大海原を行く船は人生の希望を与えてくれるように感じ、様々な想いを巡らす事が出来ます。空は青く描かれている事が多く、ポジティブな気持ちにさせてくれます。
鈴木政輝は主にバルビゾン派絵画を学んでおり、自然主義的な風景画や農民画を写実的に描いています。また帆走中の船の印象が強いですが、帆を下して夕景に佇む船や、森や街・港を描いた作品も存在します。港を描いた作品は、夕日をバックに帆船や小型船などを描いた日常に近い温かみのある作品となっています。
物語の中の世界のような穏やかな色彩で描かれるヨーロッパの街並み風景。「旅への誘い」をテーマに描いてきた洋画家・井口由多可の作品は、その穏やかな風景描写と澄んだ空気感に心が惹きつけられ、自分もこの世界に行きたい、と強く感じさせてくれる魅力が詰まっています。
1947年九州に生まれ大学は慶應義塾大学の法学部を卒業。その後は船会社に勤務しますが、多忙により体を壊してしまいます。そんなときに趣味として独学で始めたのが絵画でした。24歳の頃会社を辞め画業に打ち込むようになり、1975年28歳にして第4回現代洋画精鋭選抜展にて入選を果たします。これがきっかけとなり2年後の同展では金賞を受賞。フランス芸術家協会主催のル・サロンで名誉賞を受賞するなど、その作品が高く評価されるようになりました。
現在は全国各地の百貨店などで個展を開催する一方、自身が会長を務める旭美術協会にて後進の育成にも力を入れています。
2015年に画業40年を迎えましたが、いまだ向上心に溢れ、新たな作品に向けて研究を続けているとのことです。
1836年~1902年 山名 貫義(やまな つらよし)は、現在の東京都千代田区麹町の出身で明治時代に活躍した日本画家になります。明治維新後、工部省、内務省、農商務省に測量技術をもって出仕し、明治10年代の際に再び画道に戻り、1879年古画の模写を嘱託されます。1884年の第二回内国絵画共進会で審査員として加わり、「藤房奉勅訪楠氏図」「獣虫戯図」を出品し銀賞を授与されました。同年創立した鑑画会では、狩野永悳、狩野友信と共に、古画の鑑定委員として参加しておりました。その後、皇居造営の際に杉戸絵等を多数手掛け、当時の「今日新聞」(都新聞)に異なる10の分野において当時最も優れた人物を読者投票で選ぶという「日本十傑指定」の記事では、政治家では伊藤博文、軍師で榎本武揚、学術家で中村正直、著述家で福沢諭吉らと並び、10番目に画家として山名貫義の名が挙げられ,1896年に帝室技芸員となりました。現代ではあまり知られておりませんが、当時貫義は大和絵最後の大家として高く評価された画家になります。1902年6月11日67歳で死去しました。
栗原喜依子は女性像を数多く描いたことで有名な洋画家です。
1935年に茨城県に生まれた栗原喜依子は1958年に女子美術学校洋画科を卒業し、1960年頃よりNHK美術部に勤務しながら製作活動を行っておりました。女子美術学校に在学中の1956年には二科会に出品をしており、その後は毎年出品を重ねております。
1966年と1973年の2回フランスに渡っており、2回目に渡った際に女性像を主にモチーフとした作品を手掛けるようになりました。1982年には渡欧し、そこで取材をした民族衣装の人物や風景を描きました。
栗原喜依子の作品はフランスに滞在した際の影響を受けており、乳白色の独特な色彩と繊細な線描により描かれる民族衣装の少女や裸婦が人気の高い作品となっております。
石川県出身の雪深い北国の風景を描いた画家として有名なのは塗師祥一郎です。
1932年に陶芸家の塗師淡斎の長男として石川県小松市に生まれた塗師祥一郎は生まれて間もなく埼玉県の大宮に父の仕事の関係にて転居します。
しかし、戦況が悪化したことに伴い再び小松市に戻りました。
塗師祥一郎が画家を目指すきっかけとなったのが1947年に北国現代美術展に「静物」を出品して吉川賞を受賞したことがきっかけとなっております。
1950年には金沢美術短期大学に入学し、集中講義に来ていた小絲源太郎と出会い金沢美術短期大学の卒業後には大宮に転居して小絲源太郎に師事するようになります。その後は日展などに出品を重ねて数々の賞を受賞します。1967年には2か月に渡ってフランス、イタリア、スペインを周遊しそれまでは憧れをもって眺めていた西洋の風景画が日常的な風景であったことを知り、日本の風景を描くことの意義を再確認しました。その後も日展評議員や日本芸術院会員となり、2008年には旭日中綬賞を受賞し、没後には塗師祥一郎追悼展が開かれました。