藤田 吉香は日本の洋画家です。清らかな色彩に加え、非常に描写力の高い静物画が特徴的でございます。
藤田 吉香は福岡県久留米市櫛原町にに生まれます。九州大学工学部を卒業後、多くの画家を輩出した松田塾にて松田実から洋画の指導を受けます。その後東京芸術大学美術学部を卒業しました。
1959年には「すわる」「ほおむる」が第33回国展にて国画賞を受賞し、その3年後に技術を高めるべくスペインの王立サン、フェルナンド美術アカデミーへ留学し、ひたすら模写や西洋絵画の個展技法の研究に励みました。
1967年には「空」が第41回国展にて国画会サントリー賞を受賞し、翌年には「連雲」が昭和会展にて優秀賞を受賞します。70年代後半頃からは背景に金銀箔を使用し、背景の奥行空間を否定した作品を制作し始めました。
その後数多くの賞を受賞し昭和を代表する画家となり、1991年に京都造形芸術大学教授に就任しました。1998年には退職し同大学名誉教授となり、画家の育成や指導にあたりました。翌年の1999年に拡張型心筋症により横浜市金沢区の病院でお亡くなりになりました。
村田 省蔵は、1929年石川県金沢市の生糸問屋の5男として生まれました。1944年に滋賀航空隊に入隊するが、1945年に終戦を向かえ中学に復学するという経歴を持っています。
復学後に第1回現代美術展にて宮本三郎の作品に惹かれ絵描きを志すようになりました。
金沢美術工芸専門学校(現金沢美術工芸大学)の第1期生として、宮本三郎の指導を受け、在学中に光風会や日展に出品し初入選しました。美術学校を卒業後は上京し小絲源太郎に師事しました。東京都保谷市にアトリエを構え、周辺風景などを描き腕を磨きました。
学生時代は婦人画を描いており、卓抜した描写力が高い評価を得ていました。小絲源太郎に師事してからは深い色彩について学び、上京後の作品は、描写力と深い色彩を武器として風景画を描きました。そんな日本の原風景を大事とする作品には、美しい自然と、近代的な発展によって失われた自然の風景の両方を描き、自己の想いをぶつけているようにも感じることができます。
美しい自然作品を代表とするのは北海道を題材にした作品で、黄や緑を使い豊かな自然を得意の深い色彩で表していてます。失われていく自然は、新潟の稲架木(はさぎ)を描いた作品だと言えるでしょう。一本一本丁寧に描く稲架木にそれぞれの喜怒哀楽が込められてるかのような哀愁を感じます。
このような自然美を題材にした作品は高い評価を得て、日展にて総理大臣賞と恩賜賞・日本藝術院賞受賞する結果をもたらしました。2000年には地元で母校でもある金沢美術工芸専門学校の教授となり、後身の育成にあたりました。
生田宏司は日本を代表するメゾチント技法による銅版画家の一人です。
多摩美術大学の絵画科日本画専攻で学び、上野泰明、加山又造、堀文子などに師事しました。
日本画を専攻しながらも版画を独学で学び、アメリカやブラジル、フランスなどの展覧会での受賞歴がある国際的な画家です。1992年より毎年ギャラリー伸にて個展を開催しています。
「ふくろう」「花」「ねこ」などをテーマにした作品が人気で、メゾチント技法による黒背景に描かれる光のような白色がとても美しく、立体感のある作品が特徴的です。黒と白のコントラストで描かれるふくろうは夜中に獲物を狙うハンターのように見え、今にも動き出しそうな存在感を感じます。
生田は、ふくろうは人間の内面表現が出来るというところが魅力であり、自分の化身であるとまで語っています。
生田の作品は、生物の生き方までもが伝わってくるリアリティのある描写が多いです。一方で動物の可愛らしい姿を描いた作品もあり、高い人気を持っています。どちらのテーマも共通した生田らしさを見て取ることができ、独特な魅力が感じられるでしょう。
浮田 克躬(うきた かつみ)
東京都出身の画家になります。小学時代は、集団生活になじめず不登校となり、専ら好きな絵を書いていたそうです。
もともと、絵は好きでしたが1934年に第1回聖戦美術展をみて本格的に画家を志します。
浮田さんは、東京美術学校に在学中、安井曽太郎さんの教室に在籍し師事しておりました。1950年に同行を卒業の年に新制作派教会第4回展に初入選致します。その4年後、田崎廣助さんに師事。
1979年ブラジルの風景画を、自己の写実表現を用いて制作したことが称され、ブラジル政府よりコメンダドール・オフィシャル章を受章。
主に北海道やヨーロッパの風景を主題に制作活動を行っておりました。1989年心筋梗塞の為死去致しました。
カリフォルニア在住の女流画家です。
1947年、アメリカのアリゾナ州フェニックスにて生まれました。
レスリー・セイヤーの作品は、色鮮やかで明るい花々をモチーフに描かれています。抽象画の柔らかいフォルムが色彩豊かな花とマッチして温かい雰囲気を醸し出すのが特徴的です。
レスリー・セイヤーが絵を描き始めたのは2才の頃であり、祖母が作っていたカントリー・キルトの明るい色彩に影響されクレヨンで絵を描きだしました。その才能はすぐに開花し、高校時代から次々と賞を受賞すると、彼女が生み出す明るく華やかな世界観は世界中のファンを魅了していきました。
日本においても来日イベントが開かれるなどして、温かい印象の絵が好きな方にとっては根強い人気を誇っています。
『幸せでないと描けない』この言葉は レスリー・セイヤーが常に言い続けている言葉であり、彼女は普段の生活から幸せでいられるよう、綺麗な花壇や美しい風景に囲まれた生活をしてるそうです。きっと彼女の幸せな気持ちが、作品全体の明るく華やかな色調を生み出しているのでしょう。
中村清治は、神奈川県横浜市生まれの洋画家です。
東京芸術大学油画科にて伊東廉の教室に所属し、卒業制作で学内賞の安宅賞を受賞しております。卒業後はグループ展「大地」を結成。
自身初の個展は東京銀座で31歳の頃に開催。その後、1974年に上野の森85年の歩み展「黎の会」結成に参加して出展。77年の「和の会」結成に参加して出展したりと、画壇や展覧会には出品せずに個展やグループ展にて作品を発表されておりました。
中村清治の作品の特徴は、静物や風景などを独自の色づかいで詩情豊かに描いている点です。オーソドックスでトラディショナルな作風でありながら、フォルムの単純化、明暗を絶妙に使い分けたその色彩感覚に明快な色彩使いで描かれるマチエールはまさに写実的な印象を与えてくれます。特に美人画においては高く評価されており、「ピンクのブラウスの婦人」、「椅子に座った婦人」、「絵の前の裸婦」などが代表作として挙げられています。