日本の俳優・演出家として有名ですが、絵師としても世に様々な作品を残されています。
1934年福岡県福岡市で生まれました。
1957年、劇団民藝水品演劇研究所に入り、舞台・映画・テレビなど多方面で活躍。NHK大河ドラマや「男はつらいよ」シリーズなどで次々と重要な脇役を演じ,俳優としての地位を確立していきます。
また、絵本作家としても活躍されています。『魔法おしえます』『多毛留』で、2年連続ボローニア国際児童図書展グラフィック大賞を受賞します。この大賞受賞により、世界的にも高い評価を受けました。
『おとなになれなかった弟たちに…』(偕成社)は、1987年より約30年以上もの間、光村の中学国語の教科書に掲載されています。一度目にしたことがある方もいらっしゃると思います。
主に女性や子どもを水彩画で描きますが、細かなラインと色の緩急、独特なタッチ感で描かれている作品が主流です。
1937年山梨県甲府市に生まれる。
1961年 東京造形美術学校卒業後、1975年 日美展特選、1977年 日美展奨励賞、 新潮社賞と輝かしい成績を収めております。
1988年からはパリ、ムルロー工房にて版画制作を開始し、翌年にはフランス・サージ・マルジス賞と海外でも成績を残しております。
現在は 日本美術家連盟会員であり、産経学園講師も務めております。
街や油彩画の作品を数多く残しており、際立つ発色の深み、細かく洗練されたタッチなど見る者を魅了してやみません。
自然、花特にバラなど花の絵を多く制作しており、多方面で高い人気を得ております。
こちらの作品は油彩ではなく水彩であるものの、何色も使われている色遣いと水彩ならではの絵の深み、まるでパリにいるかのように思わせる非常に素晴らしい作品であります。
楢原 健三は東京都出身の洋画家であります。
1933年東京美術学校卒業後、翌年から9年間に渡り、図画教師を務め、戦後にはすぐに展覧会の出品を始め、数々の成績を収めております。
1980年に日本芸術院賞を受賞し、88年には日本芸術院会員となります。
楢原の作品は、日本・海外の風景・街並みや花などを主に描いており、一筆一筆に深い表情と力強さが込められているものの、色使いは非常に細かく作品それぞれにこだわりを感じれます。
画像の作品は、ストックホルムの情景が描かれており、楢原らしい油彩の力強さと、影などの繊細な色使いが汲み取れます。
絵画全体を通して観る人の目を楽しませ、現在でも幅広い年代層の洋画ファンに親しまれております。
山岸正巳は1929年に北海道の岩内で生まれます。
画家としては、バレリーナの少女などをモチーフとした人物画や、牡丹、薔薇などの静物画を得意とした作家です。
1952年に東京美術学校卒業し、学校卒業から彼の作品は注目を集め、その翌年の1953年に『人物』が第15回一水会に入選します。
1958年には生まれの北海道の札幌三越デパートで人物画個展を開催し、同年に故郷の岩内町高台に画室を建てるなど、地元である北海道、そして岩内をこよなく愛した作家と言えるでしょう。
彼が得意とする人物画、とりわけバレリーナに強い想いがあったようで、バレリーナの少女がモチーフとなった作品が数多くあります。
紹介写真は山岸正巳がまさに得意とするバレリーナの少女。
その場の状況を鑑賞者に想像させる何気ないワンシーンが描かれており、気品が漂っています。
クラシカルなムードを演出し、美しい女性の肌と黄色のチュチュの清楚なイメージを一段と引き立ててる作品となっております。
小向貢嗣(こむかいみつぐ)は、青森県出身の画家です。
人物画と静物画を得意とした作家であり、特に人物画では老人を描いたものが多くあり、その写実的な画風が高い人気を誇っています。
静物画においては柘榴と葡萄を好んでいたようで、度々絵のモチーフとして使われています。
写実的、写実主義(リアリズム)とは現実をそのままに表現しようとする美術様式であり、西洋美術においてルネサンス期以降に形作られていった潮流です。神話や神ではなく、現実のものを写し取ろうとするこの流れは、宗教改革からくるキリスト教的世界観の瓦解に紐づいたものであるともみられています。
小向貢嗣の絵画は造形の他、陰影などが深い写実性を持って描かれ、リアリズム作品としての高い表現力がうかがえます。
深緑の背景色は小向貢嗣のよく用いる配色であり、妖しげでありながらそこに在るモチーフの生命力を感じさせるような雰囲気を作りあげています。モチーフに宿る耽美さを蠱惑的に表現した作品群は、潜在的な美の感覚に刺激を残すでしょう。
レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)はオランダの画家です。
バロック期に活躍し、フェルメールなどと並べて語られることが多く、時代を代表する画家です。バロック様式の絵画は強い明暗法と、リアリズム的でありながら躍動感のある構図が特徴的です。
レンブラントはその中でも「光と影の魔術師」と呼びならわされるほど、卓越した明暗表現を操る画家として知られています。
生涯に渡って絵画と向き合い、描き続けた彼ですが、その裏では度重なる不幸がありました。
20代で画家としての名声を得、結婚。妻・サスキアとの間に四人の子をもうけますが、そのうち三人が間もなく死去。のちの大傑作となる絵画『夜警』の制作中に妻サスキアまでが結核で死去してしまいます。その後は財政困難に陥り、借金に追われながら晩年期を過ごすなど、まさに激動の生涯でした。
晩年にあってもレンブラントは筆を離さず、その人生を落とし込むように絵画を描き続けました。主には油彩。そして銅版画や、1000を超えるほどのデッサンなど、名実ともに大作家として西洋美術史に名を刻んでいます。