林隆一郎は1942年生まれ、岐阜県土岐市出身の陶芸家です。
1974年に第21回日本伝統工芸展入選、1975年朝日陶芸展入選、1976年東海伝統工芸展入選、1979年第6回美濃陶芸展中日奨励賞、1982年独立と活躍の場を広げながら活動しました。若い頃より60年以上陶芸と向き合い続け、織部や粉引などに代表されるような多くの名作を生み出されています。茶碗から、オブジェ、食器など経験と感性から作り上げる作品は、手に取る人を魅了します。
彼はサインに遊び心を加えており、中には音符のデザインのものもございます。それは窯の中で制作する青磁などの作品に施してある貫入がキンキンと音を奏でるように聞こえたからだそうです。
三浦竹泉は京焼の窯元の名前で、明治時代から続いております。
茶道具、特に煎茶道具を得意としており、京焼の中でも人気のある窯元です。最近では海外でも人気があり、中国でも高い評価がついております。
初代は1853年の京都に生まれ、30歳の時に五条坂にて独立、窯を構えます。先進的な意識が強く、ヨーロッパの色彩技術を取り入れるなど京焼の革新を行いました。
二代は初代の長男として生まれ、初代の死後、竹泉を襲名します。初代に劣ることのない無類の才を発揮しましたが、わずか5年後に亡くなります。
三代は初代三浦竹泉の末子にあたる方になります。二代の早世もあり、1921年には三代を襲名します。その後10年ほどで、家督を四代(二代の長男)に譲りますが、その後も自身は「竹軒」と名を改め、制作を行いました。
四代は昭和期に長く竹泉として活躍され、煎茶器をはじめ多くの作品を残されました。
現在は五代が当代となります。製作の傍ら、京焼研究にも注力された方で、京焼歴史研究の第一人者とも呼ばれています。
松古窯の歴史は古く、その歴史は江戸時代の萬古焼から始まります。
萬古焼とは伊勢桑名の豪商であった沼波弄山が朝日町小向に窯を築いたのがはじめとされており、松古窯はその流れを汲み松古窯の初代信春が江戸時代後期に窯を開いた歴史ある窯元の一つです。
佐久間芳丘は1911年に三重県で古焼窯元『松古窯』の三代目である佐久間芳隣の次男として生まれ、幼少期より祖父である二代目芳春から作陶の技術を学びました。
佐久間芳丘はとても研究熱心で、独自に古陶磁器や萬古焼の赤絵、盛り絵の研究を重ね、萬古伝来の赤絵作品や唐津、三島、志野、高麗、伊賀など幅広い作陶を続け、茶道具を中心に千家家元の書付道具などを多く作陶しております。
米久和彦(こめきゅう かずひこ)さんは、九谷焼三大技法の一つである「赤絵細描」や赤絵磁器である「赤絵金襴手」という技法を受け継ぐ数少ない職人です。
一本の筆と緻密な線で可憐な作品を生み出すその技法は、現代では10人ほどしか職人がいないと言われております。
赤絵細描について少しご説明させていただきます。
九谷焼の技法の一つで、極細の筆一本を用いて緻密な絵柄を描く技法になります。非常に精密な技巧のため、全盛期である明治期から昭和初期には250人ほどの職人がいましたが、現代では上述のように数少ない人数しかいません。
海外への輸出が盛んだった頃は、山水画や花鳥風月など中国文化の影響を色濃く受けた作品が多くあります。その中で、米久さんの作品は現代にマッチした作風づくりを行っており、新しい九谷焼として注目を集めています。
気が遠くなるような根気と集中力が必要な赤絵細描は、作り手の「心を感じられる」と米久さんは仰り、古き良き伝統を継承しながらより美しいものを作る挑戦を続けられております。
米久さんは骨董業界ではここ最近知られるようになりました。2022年の下半期から価格が上がりだし、人気作品では数十万円で取引されております。
九谷焼の世界的評価や赤絵細描という、緻密で見る人の目を奪う作品作りをする米久さんは今後ますます注目される作家になることでしょう。
南口閑粋は大阪府出身の陶芸家で、雅やかな絵付けで人気のある作家で、廃窯となっていた杣山焼を再興させた人物です。
閑粋は幼少期を大阪で過ごし、京都府立陶工高等技術専門学校を卒業後、龍谷窯の初代宮川香雲や千家十職の土風炉・焼物師である16代永楽善五郎を師事した後、独立して開窯します。
独立後は当時廃窯となっていた杣山焼を再興させるなどの活躍を見せています。
閑粋は”乾山写し”に優れた作家でもあります。
乾山写しとは江戸時代に活躍した、屏風絵などでで有名な画家・尾形光琳の弟である絵師・尾形乾山の模様を模した作品のことです。
閑粋の作品は、鮮やかで生き生きとしたモダンなデザインである乾山写しとマッチし、より魅力的に乾山の模様を引き出してくれています。
乾山写し以外の作品も、優れた色彩感覚から生み出される雅やかな作品は見る人を魅了させてくれます。
峯岸勢晃さんは、1952年、埼玉県三郷市生まれの栃木県那須町に工房を構える陶芸家です。
音響メーカーに勤めていたが以前から興味を持っていた絵を描きたいと思い退社。その後、会社の先輩の同級生が長野県の小布施にて「奥信濃焼」という陶器を作っていることを聞き遊びに行ってみました。すると、地元の畑の黄褐色の土を使い、リンゴの木の灰を加えた釉を掛けて焼き上げる陶器を初めて見て、面白さと不思議な魅力に奪われ、そのままそこで修行を始めました。
峯岸勢晃さんは、中国の宋時代を頂点とする青瓷や朝鮮の高麗青磁に強く惹かれ、青瓷を主に焼いておりました。その中で、過去にない物を目指すという大きな目標を持って取り組まれ、約20年の研究期間を経て、偶然や幻と言われた「窯変青瓷」の焼成が成功し、「窯変米色青瓷」と名付けられました。窯変とは、炎の具合や釉薬の物質の関係で、予期しない(面白い)色や文様に変わることを言います。峯岸勢晃さんの生み出す作品は米色青瓷という独特な色合いと文様がありながら、どこか落ち着きがあり柔らかい印象の作品が特徴です。
峯岸勢晃さんは大変研究意欲の強い方で、今までに青瓷・米色瓷・翠青瓷・月白青瓷など様々な青瓷を製作されてきました。独自の魅力を作り上げたそれらの作品はますます評価が高まっており、今後も活躍が期待される陶芸家のお一人です。