木村盛康

木村盛康は京都を代表する陶芸家です。

兄は木村盛和。兄弟共に天目釉を研究しております。

盛康は1935年五条坂にて生まれます。1957年に兄盛和に師事。

翌年1958年に京都美術展初入選。その才能を開花させます。

 

作品の特徴は何といってもやはり天目の美しさ。既存の天目とは一線を置き

盛康にしか導き出せない松樹天目やアンドロメダ。独自の天目を新しい世界を生み出したい。そんな気持ちが盛康の天目には色濃く反映されています。

天目は釉薬と炎だけで模様をつけるため盛康の描きたい天目に到達するまで幾度となく失敗してきたといいます。

その結果宇宙を連想させるような美しい天目が完成し、国内のみならず海外からも高い評価を受けております。

ボストン美術館、ダラス美術館、故宮美術館、大英博物館など多数の有名美術館に作品が収蔵されており人気がうかがえます。

盛康は自分の名を後世に残したいわけではなく、美しい作品を残したいと語ります。天目の感動をあたえるのは人ではなく作品だと思い、そんな美しい作品を残すのを目標に作陶を続ける天目の第一人者と言えるのではないでしょうか。

鈴木 三成

鈴木三成さんは日本を代表する青瓷作品の陶芸作家です。

まず、青磁と青瓷の違いの説明をさせて頂きます。
青瓷は一般的な磁土を用いらず、陶土の赤土を用いている違いとなります。磁土の場合は磁器(青磁)となり、陶土の場合は陶器(青瓷)となります。古くからの作品では青磁とまとめられていましたが、現代での分類分けとなります。

1936年千葉県市原市出身で、1955年河村蜻山さんの弟子となりました。6年間の修業後、1961年神奈川県小田原市に「橘窯」を設立しました。
1968年に開催された日本伝統工芸展に出品の際では初入選を致しました。
同年に台湾にあります国立故宮博物院に訪れた際、展示されていた青磁作品に惹きつけられ、以降1970年頃からは青磁作品に没頭し、研究をしてきました。
それまでは鉄絵や織部、青釉などの数多くの幅広い種類の作品を作られてきました。
1987年技術力が認められ、日本陶芸展に出品した作品「青瓷壺」が文部大臣賞を受賞し、1989年には横綱・千代の富士が国民栄誉賞を受賞した際の記念品として鈴木三成さんの作品である「青瓷壺」が贈呈されました。その後1992年からは大栄博物館に収蔵されております。

 

林 孝太郎

林 孝太郎は、岐阜県出身の陶芸家です。
美濃焼の窯元である孝龍窯に生まれ、幼い頃から焼物に親しんで育ちました。
 
家業の孝竜窯では大量生産の焼物を行っており、その大量生産を通じて腕を磨き、志野、黄瀬戸、織部などの伝統技法を独自に研究し、家業の合間に自らの作陶を行っていました。
日本伝統工芸展で初入選を果たすとその頭角を現し、多くの公募展で入選、受賞を重ね、日本工芸会正会員となり、美濃陶芸協会理事をつとめるようになります。
また、有名百貨店での個展も開催しており、その素晴らしい作品たちは高い人気を誇っています。
 
また、弟の林 正太郎も陶芸家として活躍しており、一緒に家業を手伝っていた事もあり、その陶技指導を行ったのは孝太郎で、正太郎は現在の志野を代表する作家として活躍を続けています。

 

 

小林 東吾

小林東五は「李朝陶器の第一人者」として有名な陶芸家です。

小林東五は1935年、京都にて小林全鼑(こばやしぜんてい)の長男として生まれました。
父である小林全鼑は雲道人と名乗り、異色作家であり、僧でもありました。
小林東五は父から漢籍、書画、篆刻を教わり、1951年、16歳にして一人旅を始めます。この頃に陶器の制作も始めました。
父である小林全鼑の死後、1973年、高麗陶磁の制作のため韓国へ渡り、李朝陶器に惹かれて李朝の技術を研究、再現に力を注ぎ、8年間、開慶の李朝古窯観音窯にて作陶した後、李朝陶器の第一人者となりました。

1981年、かつて対馬にあった対馬藩御用窯「對州窯(たいしゅうよう)」を復興させ、李朝高麗や井戸・三島・茶碗・酒器・茶器・ぐい呑み等の制作に励み、日本人で初となる、韓国でも個展を開き、日本国内でも多くの個展を開きました。

陶芸家として活躍をするだけでなく、父から教わった漢籍、書画、篆刻にも卓越した才能を見せ、東京の日本橋三越本店において、日本初の詩書、篆刻、陶磁の総合個展も開催しました。

2005年、東京の日本橋三越本店での古稀記念展を最後に陶芸家としての活動を終了し、現在、詩、書画、篆刻を親しみながら今日に至ります。

木村玉舟

木村玉舟は岡山県出身の陶芸家です。幻の備前焼と呼ばれる白備前を長きに渡り研究されております。毎年干支の置物の制作に取り組まれており、中でも鉄分の少ない土を焼しめることにより作り出される白備前の作品は多くの方から支持されております。

1953年木村玉舟は名細工師十六代木村宗得の長男として岡山県に生まれます。1976年に名古屋芸術大学彫刻科を卒業しました。1978年に日本最大の総合美術展覧会である第10回日展にて入選をしました。また同年に岡山県展津山市長賞を受賞しました。翌年には功績が認められて日展会友となります。1995年には幻の備前焼と呼ばれる白備前が完成し、同年に信楽陶芸展にて入選しました。2003年から約3年間岡山県展審査員となり、6年後には日本陶彫会副会長に就任しました。

2022年に制作した池田動物園のベンガルトラをモデルにした作品はニュースでも取り上げられました。こちらの作品は白備前の元祖ともいわれる閑谷焼であり、木村さんが5年もの時間をかけて初めて発表をされた物でございます。今後も工夫や研究を続け、素晴らしいご活躍をされることでしょう

加藤 春岱

加藤春岱(かとう しゅんたい)は幕末、瀬戸赤津村の陶工です。

1802年瀬戸の窯屋に生まれ、名を宗四郎と言います。
早くから才能を開花させ、15歳にして父・景典(春山)の跡をつぎ、御窯屋に列しています。

御窯屋(おかまや)とは、初代尾張藩主・徳川義直が行った瀬戸の復興政策の一種です。
現在でも陶器のことを「瀬戸物」と呼ぶくらいに瀬戸は焼き物が盛んですが、この時代、桃山期に陶工が美濃へと移った影響で、その力は衰えていました。そこで瀬戸の窯業を再び盛んなものにするべく、陶工(唐三郎・仁兵衛)を呼び出します(後に、太兵衛家もここに加わります)。苗字帯刀を許可、藩から扶持を支給し、瀬戸における陶磁器の生産と、また名古屋城内でのお庭焼(御深井焼)の指導を命じたことに始まる、由緒ある窯元の家です。

1838年に罪を犯して御窯屋職を退職。名古屋市昭和区の川名町で制作をすることになりました。この頃の作品が多く銘印が押され後世に残されたとみられています。

坂倉 新兵衛

坂倉新兵衛は山口県長門市深川にある萩焼の窯元です。萩焼は慶長(1592年~1598年)の折、毛利輝元公が朝鮮李朝の陶工、李勺光、李敬を日本に招いたことによって始まったと言われております。 半世紀後に、李勺光の子である山村 …

申 正熙

申 正熙(シンジョンヒ)は、韓国で最初に高麗茶碗を再現した陶芸家です。 高麗陶器は当時、世界最高水準にあり、その素朴で温かみのある作品は多くの韓国人に愛され、日本でも茶人からその雅趣が高く評価され、国宝的な存在として数々 …

月形 那比古

月形 那比古は鬼志野創始者であり、「炎の陶工」と謳われた日本の陶芸家です。 1923年、新潟県糸魚川市に専業農家の5人兄弟姉妹の三男として生まれます。 父は石刻匠で母は華道家という家庭環境でしたが、5歳の時に不慮の事故で …

中川自然坊

佐賀県東松浦郡有浦村で生まれ、貧しい家庭で育った中川憲一は、絵を描くことが好きでハングリー精神を持った男でした。 高校卒業後に勤めた製薬会社を辞め、陶芸家になってサラリーマンより稼いで先生と呼ばれ尊敬される人になる、と意 …

伊勢崎 満

伊勢崎 満は、岡山県重要無形文化財保持者であり、伊勢崎淳(人間国宝)の兄です。 1934年岡山市備前市に岡山県重要無形文化財の細工師であった、伊勢崎陽山の長男として生まれました。 岡山大教育学部特設美術科を中退後は、家業 …

辻 清明

辻清明は1927年に現東京都世田谷区に生まれの陶芸家です。 幼少期に古美術の愛好家だった父と訪れた古美術商の影響により、焼物に惹かれていき陶芸を学びました。 1941年に姉である輝子と共に「辻陶器研究所」を設立します。こ …

河井 武一

河井 武一は河井寛次郎の甥であり、寛次郎の一番弟子です。 武一は1908年島根県安来に生まれ、1927年寛次郎の元にて陶磁器の修行を開始します。 寛次郎の窯元へ修行に来ていたバーナード・リーチと共に作陶活動をしていました …

清風 与平

初代 清風 与平 清風 与平は江戸から続く京焼有名な陶芸一家です。初代清風与平は京焼で有名仁阿弥道八(2代高橋道八)に師事したと言われており、染付(青華)、白磁、色絵、乾山を非常に得意としておりました。文政初年に道八の命 …

浦口 雅行

伝統的な青磁のみならず、作品にて新な技術や表現をされている陶芸家の浦口雅行さんです。ダイナミックに独特な作品によって多くの人を魅了してきました。 浦口雅行さんの作品には「浦」の文字が刻まれており、箱にも「浦」の文字の烙印 …

玉井 楽山

玉井楽山は楽山焼の当主の名になります。 楽山焼は愛媛県松山市で1678年に陶工の倉崎権兵衛が、二代目松山藩主松平綱隆の命により窯場を開いたのが始まりと言われています。 楽山焼の最大の特徴はなんといっても蟹の彫刻になります …

四代 山田常山

山田常山は初代山田常山から、四代山田常山まで続いている陶芸家です。朱泥、緑泥などの中国急須や常滑焼を中心に作品が多く作られています。四代山田常山は、1954年に愛知県常滑市にて生まれました。 1980年に美濃陶芸展で長三 …

利茶土 ミルグリム

利茶土ミルグリムは、1955年にアメリカ・ニューヨークで生まれた陶芸家です。 大学在学中に日本陶器に魅了され、日本文化と陶磁器に触れるため大学の留学サポートを利用し日本を訪れました。この留学の一年間でミルグリムは沖縄を除 …

金谷五郎三郎

金谷五郎三郎さんは、京都を代表する錺鋳物師で、代々同名を世襲しております。 茶道具や花器の製作において知られ、近年では装身具や建築装飾等の分野も手がけるなど、伝統の技に新たな活用を見出しています。 作品の特徴は、銀や銅、 …

伊万里焼・有田焼

皆様、こんにちは!緑和堂でございます。 今回は、伊万里焼と有田焼についてご説明させていただきます。 現代においての「伊万里焼」は佐賀県伊万里市で生産される焼き物であり、「有田焼」とは佐賀県有田町で生産される焼き物のことを …

今井 政之

今井政之さんは、1930年生まれ大阪府出身の陶芸家です。 大阪府生まれですが、父親の郷里の広島県に移り住み、高校卒業後に岡山県備前市にて陶芸の修業を始めました。 その後、京都に移り住み、初代勝尾青龍洞の門に入り陶芸家の楠 …

伊藤 北斗

伊藤 北斗さんは、1961年生まれ、東京都中野区出身の陶芸家です。 デザイナーであった父親の影響を受け、東京藝術大学工芸科に入学しました。 様々な実習を経験する中、2年の時にロクロに触れたのがきっかけで陶芸を始めるように …

宮川 香雲

宮川香雲は真葛焼で有名な宮川香齋から分家した、京焼・清水焼の窯元で、現在3代目が活躍しています。 初代 宮川香雲は、真葛焼 2代 宮川治兵衛香齋(善翁)の三男として生まれます。治兵衛香齋の子は、長男が3代 光誉香齋、次男 …

小川 長楽

小川長楽は楽焼の作家であり、現在は三代目が活躍しています。 楽焼の元祖である楽家。その楽吉左衛門十一代・慶入のもとに、初代・長楽が弟子入りしたことからはじまります。 そこで類稀な才能を遺憾なく発揮した初代・小川長楽は独立 …

西岡 小十

西岡 小十は「古唐津の神様」と謳われた人物です。 1917年、佐賀県に生まれ、1950年頃から約20年間にわたり唐津古窯跡の発掘に師事し、古窯跡の陶片に心奪われ、いつしか、発掘した陶片のような唐津を再現したいと思うように …