オディロン・ルドンは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家です。
感情など形のないものを、神話や文学のモチーフを用いて表現する「象徴主義」の代表的な作家として知られています。
フランスのボルドーに生まれ、15歳でスタニスラス・ゴランから素描を学びはじめました。
その後、植物学者のアルマン・クラヴォーと出会い、読書の手ほどきを受けました。
彼の存在は大きく、のちの作品にも影響が表れています。
さらに、ロドルフ・ブレスダンからは銅版画、アンリ・ファンタン=ラトゥールからは石版画の指導を受けました。
1870年の普仏戦争での従軍後、初の石版画集『夢の中で』を刊行しています。
ルドンの最期は悲しいもので、第一次世界大戦中に行方不明となった次男を探す途中で体調を崩し、会うことが叶わないまま自宅で息を引き取りました。
オディロン・ルドンは、独自の視点で内面を映す幻想の世界を描き続け、美術史に大きな影響を与えました。
代表作には『眼=気球』『眼をとじて』『蜘蛛』などがあります。
ジミー大西は1964年1月1日生まれの大阪出身で画家・タレント。吉本興業所属の芸人として独特の天然キャラクターで人気を博したあと、1990年代より画家としての活動を本格的にスタートしました。
彼の作品は色鮮やかな色彩と自由奔放な構図が特徴で動植物や幻想的な風景などを題材にした大胆かつ、純粋な表現で知られています。
主にアクリル絵具を使用し乾きの早さと発色の良さを活かしエネルギッシュで直感的な作風を生み出しています。これまでにニューヨークやパリ、上海など国内外で個展を開催し、独自の世界観で高い評価を受けています。
芸人時代の経験や人間味あふれる感性の作品に反映されており、芸術の枠を超え多くの人に感動と癒しを届けています。
笠松紫浪(かさまつ しろう)は、日本の木版画家であり、20世紀の「新版画」運動を代表する作家の一人です。
東京・浅草に生まれ、13歳で鏑木清方に師事し、日本画を学びました。師の推薦により、1919年に渡邊庄三郎の版元から木版画制作を開始し、風景画を中心に活動しました。
彼の作品は、雨や雪、夜の情景が繊細に描写されており、詩情豊かな風景表現が有名です。特に、静けさの中に人々の営みを感じさせる構図や色彩感覚は、独自の魅力を放っています。
戦後は、京都の版元・芸艸堂(うんそうどう)と協力し、1950年代から1960年代にかけて100点以上の作品を制作しました。また、作家自らが下絵を描き、彫りと摺りまで行う創作版画にも取り組み、時代と共に表現の幅も広げていきました。
近年、笠松紫浪の作品は評価が高まっており、山梨県立美術館などで大規模な展覧会が開催されています。彼の作品は、伝統と革新を融合させた日本美術の魅力を伝えるものとして、今でもなお多くの人々に親しまれています。
牧野宗則は、1940年に静岡県静岡市で生まれた木版画家です。伝統的な浮世絵の技術と、現代的な創作木版画の精神を融合させた、独自の美の世界を築いてきました。
彼の作品は、日本の自然や四季の移ろいをテーマにしたものが多く、月明かりに照らされた山々や、風に揺れる草花など、どこか懐かしく、静けさの中に生命の気配を感じさせるものばかりです。
最大の特徴は、作画・彫り・摺りのすべてを自らの手で一貫して行うこと。木版画の世界では分業が一般的ですが、牧野さんはすべての工程を一人で仕上げることで、作品に確かな統一感と温もりを与えています。
代表作には『月影』や『創世』、『霊峰讃歌』などがあり、これらの作品に共通しているのは、風景そのものだけでなく、そこに流れる「空気」や「時間」まで描き出していることです。牧野さんの木版画は、ただ美しいだけでなく、見る人に静かな感動を与えてくれます。
アイベン・ロールは、アメリカの画家・イラストレーター・アニメーターで、特にディズニー映画の背景美術で知られる芸術家です。
彼の作風は、幻想的かつ装飾的なスタイルであり、モダンアートとゴシック美術、日本画や中国画の要素を融合させた独自のビジュアルを生み出しました。
ディズニー美術において「最も革新的な背景美術家の一人」と評され、彼のスタイルは現代のアニメーションやイラストレーションに影響を与え続けています。
ミハイル・シュミアキンは、ロシア・モスクワ出身の現代芸術家です。主に画家、版画家、彫刻家など、様々な芸術場面で活躍されている作家です。先鋭的・宗教的象徴作品を創作し、ソ連政府から弾圧を受けながらも創作活動を続けたことで知られています。
1943年にモスクワで生まれ、1957年にはソビエトにあるレーピン美術学校入学するも1959年には学校を追放されます。1964年・1966年にはそれぞれ発表展や個展を開催していますが、圧力がかかりわずか数日で展示会を禁止されます。
そんな中でも作品の表現をし続ける彼は、1971年にはパリで版画展を開催、1975年には初めて日本にも訪れています。
心に刺さるようなメッセージ性の強い風刺と怪奇的な画風が特徴で、上記記載の通り、度々当時のソ連政府より弾圧を受けていました。それでも芸術家としての表現は留まることはなく、ヨーロッパをはじめ、日本でも人気は徐々に高まってきました。
独創的で時代の奥深さも感じることができる作品は、現在でも注目度が高い作家になります。