エドガー・ドガは、印象派の代表的な画家として知られています。
一般的には印象派の一員とされていますが、戸外制作を好まず古典的な技法を重んじるなど、他の画家とは一線を画す存在でした。
1834年、ドガはフランスで銀行員の家に生まれました。
国立美術学校に入学し、ドミニク・アングルの弟子であるルイ・ラモートに師事します。
のちにアングルから「線を引きなさい、たくさんの線を。記憶によってでも、ものを見ながらでもかまいません。」と助言を受け、デッサンを重要視するようになりました。
当初は模写や歴史画を制作していましたが、1860年代ごろからは都市の風俗をテーマに描くようになります。
屋内で人物を描くことを好み、晩年には視力の衰えからパステル画や彫刻などを手掛けました。
ドガは鋭い観察眼を持ち、写実的かつ大胆な構図で都市の生活を描きました。
光と影のコントラストや、物語性を感じさせる空間表現などが魅力的で、彼の作品は見る者を惹きつけます。
代表作には『オペラ座のオーケストラ』『アブサン』『バレエのレッスン』などがあります。
横尾 忠則は、兵庫県出身の画家・グラフィックデザイナーです。
力強く個性あふれる作風により世界的に高く評価されています。
1936年、兵庫県に生まれ、2歳で呉服商を営む叔父夫婦の養子となりました。
幼少期から数多くの「超常現象」を体験し、「死」に対する関心を抱いていました。
1945年には神戸の空襲を経験し、命は助かりましたが、崩れゆく街の光景が脳裏に深く刻まれました。
この経験は、後年の作品にも強く影響を与えています。
また、ある日校庭に突然グラマン戦闘機が3~4機降下し、パイロットの顔が見えるほどまで機体が迫ったことで、強く死を意識したといいます。
高校では美術学校出身の教師の影響で油絵を始め、絵画展などで入賞を重ねました。
1956年にスカウトされ神戸新聞社に就職し、数年後に退社。その後、日本デザインセンターに入社しました。
同時期にオノ・ヨーコや三島由紀夫らと出会い、親交を深めています。
グラフィックデザイナーとして成功を収めた後、パブロ・ピカソの個展に衝撃を受けたことをきっかけに、画家としての道を歩む決意をしました。
横尾の作風は「死生観」や「宗教」などをテーマに、大胆な構図や個性的なモチーフ、鮮やかな色彩で精神世界を表現しているのが特徴です。独自の世界観を持つ作品は唯一無二の存在感を放っています。
90歳を目前にした現在も創作活動を続け、精力的に展覧会を開催しています。
代表作には『TADANORI YOKOO』『腰巻お仙』『Y字路シリーズ』などがあります。
日高蔀は、鹿児島県種子島出身の画家で、1931年に生まれました。
1952年に鹿児島大学教育学部教員養成科終了後、1962年二科展に初入選します。以後連続入選され、1971年に渡欧したのち1976年ル・サロン金賞受賞します。
そしてル・サロン会員となりました。
その後も順調に経歴を重ね、1977年パリ国際絵画芸術祭に出品、ベルギー王妃賞、グランプリ銀賞受賞を受賞します。
1978年にはパリ国際展に出品、特別賞を受賞。
1980年パリ国際展にてグランプリ金賞受賞。
アンデパンダン会員となり、1981年ベルギー国際展にてヨーロッパ芸術文化賞受賞します。
1983年ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール会員となり、1985年パリ市より文化功労賞を受賞。
1993年にはポルトガル、リスボン・ヴィラ・ド・ビスポで日本・ポルトガル交流作品展に出品。全作品がリスボン市美術館に収蔵され、 1995年鹿児島県中種子町文化会館(種子島こり~な)の緞帳原画を作成しました。
東京・大阪などで、個展多数開催など輝かしいご活躍をなされ、2004年に逝去されました。
アノラ・スペンスは、イギリス出身の女性画家です。
大学でテキスタイルデザインを学び、首席で卒業。その後フリーランスの画家・デザイナーとして活動を始めます。
画家としての活動と並行して、美術学校やデザイン学校で教鞭を執り、マレーシアでは舞台美術を教えるなど幅広く活躍しました。
1990年頃からは画家に専念し、多数の個展や展覧会を開催。
はじめて版画を制作した1994年以降、記録的な早さで絶版が続いています。
作品によく描かれる白い犬は、イギリス原産のブルテリアという彼女の好きな犬種だそうです。
現在では彼女は農場に住み、動物たちと共に過ごすことでインスピレーションを得ているといいます。
人と動物が触れ合う様子を温かく色彩豊かに表現するユーモアたっぷりの作風は、国境を越えて支持され、世界中のファンを魅了し続けています。
徳島県阿南市出身で、日本を代表する現代木版画家です。
数多くの賞を受賞し、1989年には紫綬褒章を受章、2004年には日本美術家連盟理事長も務め、更に多摩美術大学で教授も歴任しており、長年に渡り芸術分野において幅広い活躍をしている作家です。
その人気は国内だけではなく、ニューヨーク近代美術館・ポーランド国立美術館・スイス国立美術館等、世界各国の美術館に作品が所蔵されています。
透明感と重厚感を併せ持つ、鮮やかさもあり奥深さも感じることができる色彩表現が特徴的で、水性と油性絵具を木版に重ねていき、繊細ある色遣いが表現される作品は、インパクトもあり日本らしさも感じることができます。
オディロン・ルドンは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家です。
感情など形のないものを、神話や文学のモチーフを用いて表現する「象徴主義」の代表的な作家として知られています。
フランスのボルドーに生まれ、15歳でスタニスラス・ゴランから素描を学びはじめました。
その後、植物学者のアルマン・クラヴォーと出会い、読書の手ほどきを受けました。
彼の存在は大きく、のちの作品にも影響が表れています。
さらに、ロドルフ・ブレスダンからは銅版画、アンリ・ファンタン=ラトゥールからは石版画の指導を受けました。
1870年の普仏戦争での従軍後、初の石版画集『夢の中で』を刊行しています。
ルドンの最期は悲しいもので、第一次世界大戦中に行方不明となった次男を探す途中で体調を崩し、会うことが叶わないまま自宅で息を引き取りました。
オディロン・ルドンは、独自の視点で内面を映す幻想の世界を描き続け、美術史に大きな影響を与えました。
代表作には『眼=気球』『眼をとじて』『蜘蛛』などがあります。