中里 隆

中里隆は佐賀県出身の唐津焼陶芸家です。

父は唐津焼の人間国宝・十二代中里太郎右衛門で、幼い頃より父から陶芸を教わりました。その後は京都市立工芸指導所、京焼の松原栄一、佐賀県窯業試験場の井上萬二などに指導をうけます。

1961年には第10回現代日本陶芸展にて第一席を受賞しています。1960年代は世界各国を巡り、様々な陶芸・芸術に触れました。1971年、種子島に窯を建て、種子島焼を自ら創始しました。間もなく唐津に戻り、本拠となる隆太窯を築窯します。さらに福井や沖縄でも作陶しています。その後も国内外問わず様々な場所へ赴き、視察や調査を行ってきました。現在も精力的に海外を周って作陶に取り組んでいます。

唐津焼の作家ではありますが、その作風は従来の唐津にはない豪快さと、海外技法を取り入れた独特な風合いで多くの人々の間で人気となっています。どこかで中里隆作品に触れる機会がございましたら、是非その魅力を味わってみてください。

鯉江 良二

鯉江良二は愛知県常滑市の陶芸作家です。アルバイト中の事故で、右手の指を2本失うというハンデを抱えながらも、精力的に制作に取り組み続け、その独創的な発想で、従来の焼き物の枠組みを超えた自由な作風が特徴となっています。

青年時代の鯉江は、県立常滑高校窯業科を卒業し、タイル工場で勤務していました。しかし、24歳の頃工場を辞め、常滑市立陶芸研究所へ入ります。ここで5年間本格的に陶芸について学び、退所後独立して陶芸家としての道を歩み始めました。伝統に捉われず、ときには前衛的でもある鯉江の評価は高まっていき、1970年の大阪万博では大型陶製ベンチの企画・制作を行っています。その作品は海外でも評価され、1972年の第3回バロリス国際陶芸ビエンナーレ展では国際名誉大賞を受賞したほか、国外での展覧会・講演なども行っています。2008年には日本陶磁協会賞金賞を受賞しました。

制作スタイルはまさに自由奔放で、日常使いの型の決まった陶器をあえて崩してみたり、代表作『土に還る』では自身の顔を石膏型でとり、シェルベン(衛生陶器のリサイクル用粉末)で焼き固めるなど、従来の陶芸にこだわらない独自の作品を生み出しています。

代表作としては他に『マスク』『チェルノブイリシリーズ』などがあります。

杉本 貞光

杉本貞光は茶器制作で有名な陶芸家です。大徳寺の立花大亀老師より作陶の指導を受け、その作品は海外でも高い評価を受けています。そのため個展も日本のみならずアメリカやドイツといった海外でも開催されています。

杉本は桃山時代の侘び寂の表現に重きを置いており、その作品は信楽・美濃・伊賀・織部・志野・高麗など様々な焼き方で制作されています。

そのものの個性と無作為の現象による変化。そこから生み出される作品は、とても現代のものとは思えない深い味わいを持っており、その魅力はまさに万人を惹き付ける「侘び寂の美」としての品格であるといえます。

ただ懐古に浸るのではなく、桃山様式を現代的に再現した杉本の作品は、まさに現代茶陶の最高峰といえるのではないでしょうか。

神坂 雪佳

神坂雪佳は、絵師としてだけでなく、優れた工芸品デザイナーとしても明治から昭和にかけて活躍し、京都の地で琳派の復興に大きく貢献するなど、多くの功績を残しました。また、その典雅な作風によって海外でも非常に高い評価を受けている日本人芸術家の一人です。

雪佳は、明治維新を目前に控えた1866年、京都御所に仕えた武士・神坂吉重の長男として生まれました。幕末から明治にかけての激動の時代、武士たちは職を失い、その子息たちも新たな生き方を模索せざるを得ませんでした。武士にとっては苦難の時代の到来でした。

雪佳は16歳の時、四条派の絵師・鈴木瑞彦に師事し、画家としての道を歩み始めます。西欧文化が流入する明治の時代にあっても、雪佳の目の付け所は一味違っていました。彼は、日本の伝統的な装飾美術こそが自身の進むべき道であると見定め、それを志すようになります。

23歳の時、工芸会で指導的立場にあった図案家・岸光景に入門し、工芸意匠を学び始めました。光景のもとで図案制作に取り組む中、雪佳の才能と努力は図案にとどまらず、染織や陶芸など京都の伝統的な工芸分野にも多大な影響を及ぼすようになります。彼が関わった工芸作品の評価は次第に高まり、その名声は広がっていきました。

雪佳の絵画作品は、京都に継承されてきた伝統と雅の文化を、独自の解釈と平明な手法によって表現したもので、情緒豊かな季節感を湛える草花や花鳥画など、彼ならではのユニークな作品を多数生み出しました。中でも、琳派の特徴である大胆なデフォルメやクローズアップによる構成、さらに宗達に由来する「たらし込み」などの技法を取り入れた作品は、華やかでモダンな雰囲気を醸し出し、近代琳派の確立に寄与しました。

その後も雪佳は絵画にとどまらず、人々の暮らしを彩るあらゆる分野で才能を発揮し、京都の工芸界を活性化させました。非常に多才であり、まさに総合デザイナーと呼ぶにふさわしい人物です。

細川 護煕

細川護煕は、第79代内閣総理大臣として日本の政権運営を務めた人物ですが、一方で芸術に対する造詣も深く、政界引退後の現在は陶芸家として活躍しています。

旧熊本藩主細川家の18代目として生まれ、大学卒業後は新聞記者として勤務した後、第9回参議院議員選挙で当選し国会議員となります。その後熊本県知事を2期務め退任後、新政党「日本新党」を立ち上げます。第16回参議院議員選挙で当選し、国政に復帰します。宮澤内閣の解散後、戦後初の非自民党連立政権が樹立、細川が首相に就任しました。首相在任中に行った政治改革で成立させた小選挙区比例代表並立制は、現在も衆議院選挙の制度として用いられています。

首相退任後は野党議員として活動し、1998年に政界を引退します。引退後は作陶の道へ進み、神奈川に自身の工房と茶室を設けました。

陶芸家 辻村史朗に学んだ細川の技量は非常に高く、元首相という知名度もあるため、作品の人気は非常に高いものとなっています。茶道家でもあることから人気の作品は茶器が多いですが、湯呑や酒器といったものも手掛けています。

入江 光人司

ここでは入江光人司の作品についてご説明します。

備前焼で主に宝瓶(ほうひん)を制作している数少ない作家です。
宝瓶とはお茶を入れる急須の一種であり、取っ手が無いので片手で両端を持ってお茶を注ぐ茶器のことです。
入江氏の作品作りの大きな特徴としては、轆轤を使用せず手捻りで制作しているという点です。
轆轤を使用して制作すると水を大量に使用する為、土の持ち味が活かされません。
土の持ち味である士味を活かす為に入江氏は手間や時間は掛かりますが丹念に手捻りで制作をしています。
その結果、土味を非常に活かした入江氏独特の作品が出来上がります。
又、入江氏は希少価値のある鉄分の少ない土で制作した白備前の作品も制作し
ています。
白備前の作品も高い評価を受けています。

 

音丸 淳

音丸淳は香川県出身の漆工芸家です。父は人間国宝、音丸耕堂で、幼い頃よりその技術を学んでいました。1951年の日展で初入選を果たし、その後も4回入選しています。東京美術学校工芸科を卒業後は、イタリアへ留学し、ブレラ美術大学 …

田原 陶兵衛

ここでは萩焼深川窯と田原陶兵衛家についてご説明します。 萩焼は、文禄・慶長の役にて日本に渡来した朝鮮李朝の陶工、「李勾光」と「李敬」が17世紀初頭に李朝前期の陶技を以て安芸の広島から萩に渡り、松本中の倉に開窯した萩藩御用 …

石黒 光南

石黒光南(本名:昭雄)は金工・銀工作家として非常に有名な人物です。ふんだんに使われた金や銀の豪華さがある一方、その作品の姿は端麗に仕上げられており、素材に比して非常にシンプルなつくりとなっています。 また、石黒光南は初代 …