ルネ・ラリックは、フランスで活躍したガラス工芸作家です。
1860年、フランスはシャンパーニュ地方のマルヌ県アイ村に誕生し、パリで育ちました。1876年にパリの装飾美術学校に入学します。夜は学校で学びながら、宝飾工芸家のルイ・オーコックに師事し、金細工・装飾等の技術を習いました。
1878年~1880年までイギリスに滞在し、サイデナム・カレッジで学びました。再びパリに帰ったラリックは、1882年頃からフリーランスの金細工師・宝飾デザイナーおよびグラフィック・アーティストとして活躍しはじめます。名はすぐに知れ渡り、2,3年ののちにはパリのヴァンドーム広間にアトリエを構えるまでになっていました。この頃のラリックは主に女性向けの高級アクセサリーをデザインしており、カルティエ等に著名な宝飾店にも作品を提供していました。
1900年にはパリ万国博覧会での宝飾作品が大きな注目を集め、さらに名声を集めます。
1892年頃からラリックは、宝飾品の素材の一部にガラスを取り入れていていましたが、本格的なガラス工芸の水戸へと進んだのは、ファッションの流行がボリュームのあるふくよかな服装からシンプルなラインを強調するスタイルに移った為、派手な装飾がある宝飾品が売れなくなったからと言われております。
ラリックは乳白色で半透明のオパルセント・グラスを好んで用い、作品には動物・女性像・花などアール・ヌーヴォー時代に好まれたモチーフが多く見られます。
ラリックの歴史は息子、また孫娘が継承しており、ラリック製の作品は現在まで長く愛されております。
川瀬 忍は、中国陶磁に倣った名工・川瀬竹春(初代および2代目)に師事し、
18歳から陶芸の道に入った川瀬は、青磁を発表するようになるとすぐにその質の高さで注目された。細部まで隙のないシャープなかたち、静謐で深い青の釉調といった、洗練された美を湛える川瀬の作品は「忍青磁」と呼ばれ、今日まで多くの人を魅了しております。
清水 六兵衛(しみず ろくべい)は、江戸時代中期以来の清水焼の陶工です。
京都五条坂の陶芸の家系であり、当代・清水六兵衛は八代目となります。
初代 (1738~1799) は京都五条坂の窯元・海老屋清兵衛に学んだあと、独立して五条坂に窯を開きます。そこから六兵衛を名乗りはじめました。茶器、煎茶器をはじめ置物や文房具なども製作し、野趣に富む六兵衛風として独自の京焼を体現しました。
二代以降は初代の築いた土台から、中国や日本の諸陶の写し、染付、赤絵、青磁など様々な焼物を制作しました。中でも六代・清水六兵衛は、新しい焼成法「玄窯」や新釉「銹泑 (しゅうよう) 」を開発するなど創作陶芸に新風を吹き込み、芸術性を高めるとともに清水六兵衛の名を広く知らしめました。
伝統的な京焼の作風を生かしつつ、食器から花器、インテリア、茶陶など様々な作品を製作し、当代に至るまで常に新しいものを生み出し続けています。
『国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた』
川端康成の小説「雪国」冒頭のこの文は今でも非常に高い知名度を誇ります。
川端は1899年、大阪の医師のもとに生まれます。幼いうちに両親を失い祖父母の元で育てられ、小学生時代は本をよく読む少年でした。成績は非常に良く、中学校(現在の高等学校に相当)まで進学しています。この頃から読むだけでなく、自身の小説を書くことに興味を持つようになりました。旧制一高、帝国大学と進学し、友人らと同人誌「新思潮」を創刊しています。1923年には菊池寛の『文藝春秋』に参加、帝大卒業後は雑誌『文藝時代』を創刊します。この『文藝時代』はプロレタリア文学派の『文藝戦線』と対を成す、昭和を代表する文学派 新感覚派の源流となっています。
1926年、代表作『伊豆の踊子』を連載。その後も人気作を次々と発表しています。1937年には『雪国』の単行本が発表され、第3回文芸懇話会賞を獲得しました。
戦時中は思うように創作することが難しくなりますが、これを乗り越え1947年には日本ペンクラブの再建に尽力しました。1958年には国際ペンクラブの副会長に就任するなど、その知名度は海外でも上がり、1968年には日本人初となるノーベル文学賞を受賞しています。しかし1972年に突如自殺をはかり、日本中に大きな衝撃を与えました。
川端の文学作品は現在も高い人気を誇り、日本近現代文学を代表する人物となっています。
「練上手」にて1993年に国の重要無形文化財に認定された陶芸家として有名な人物は松井康成でしょう。
「練上手」とは異なる色の粘土を練り合わせてその収縮にて模様を表す技法です。色が違うといっても土は同一で顔料にて色を変えております土自体を変えてしまうと収縮率や耐火性が変わってしまい、感想や焼成といった工程を経ているうちに剥がれるので粘土のベースは同じにして顔料を使用して着色する技法が一般的です。
松井康成は嘯裂、象裂、堆瓷、破調、風白地、晴白、翠瓷、玻璃光といった8種類の練上手の技法を編み出しております。パステルカラーの様にはっきりと発色、そして艶のある質感が特徴的な作品や微細な色の変化やざらざらとした質感を楽しむ事ができる作品など松井康成の作る作品は様々です。
練上で用いる色土の収縮率を同じにする為に研究を重ね、独自の技法を世の中に発表して陶芸界に新しい面を切り拓いた松井康成の功績は人間国宝に認定されるのにふさわしい人物と言えます。
池田満寿夫は、1934年生まれの昭和を代表する作家・芸術家です。
1980年代にテレビなどのメディア出演を多くしていたことからご存じの方も多いかと思います。池田満寿夫を一躍有名にしたのは、芥川賞を受賞した「エーゲ海に捧ぐ」ではないでしょうか。
文学の他にも彫刻や陶芸、映画監督などとマルチな才能を発揮しておりますが、その中でもやはり画家としての一面は、官能的な「池田芸術」が前面に押し出たものが多く、国際的にも親しまれています。
そんな池田満寿夫は数多くの作品を輩出しており、制作した版画は1000点余り、陶芸作品は3000点を超えるとみられています。版画は絵画作品の中でもかなり力を入れられており、木版やシルクスリーン、リトグラフなどを制作していますが、中でもドライポイント技法による銅版画は高い評価を得ております。
池田満寿夫の官能的な芸術世界は、深層意識を駆り立てるような不思議な魅力を感じられます。機会がございましたら、是非一度ご鑑賞ください。