近代日本画の復興に尽力し、戦後は制作の傍ら美術行政にも取り組んだ日本画家・安田靫彦。日本画の中でも特に歴史画を得意とし、多くの優れた作品を残しています。
安田は1884年、東京日本橋に生まれました。13歳の帝室博物館の法隆寺金堂模写や日本画家たちの作品を目にし、自らも画家になることを決意。前田青邨と共に紅児会を結成しました。東京美術学校はすぐに退学してしまいますが、岡倉天心に認められ日本美術院に参加します。1914年の日本美術院再興の際は横山大観や下村観山とともに尽力しました。また、画家になるきっかけとなった法隆寺の壁画壁画保存会にも所属しています。
戦後は国宝保存会委員や文化財専門審議会委員などにも就任し、文化財行政でも活躍しています。その他、1944年より、東京美術学校教授も務めました。
1948年に文化勲章を受章。1951年には文化功労者に顕彰されています。
代表作となる『飛鳥の春の額田王』や『窓』は切手にも採用されました。
「練上手」にて1993年に国の重要無形文化財に認定された陶芸家として有名な人物は松井康成でしょう。
「練上手」とは異なる色の粘土を練り合わせてその収縮にて模様を表す技法です。色が違うといっても土は同一で顔料にて色を変えております土自体を変えてしまうと収縮率や耐火性が変わってしまい、感想や焼成といった工程を経ているうちに剥がれるので粘土のベースは同じにして顔料を使用して着色する技法が一般的です。
松井康成は嘯裂、象裂、堆瓷、破調、風白地、晴白、翠瓷、玻璃光といった8種類の練上手の技法を編み出しております。パステルカラーの様にはっきりと発色、そして艶のある質感が特徴的な作品や微細な色の変化やざらざらとした質感を楽しむ事ができる作品など松井康成の作る作品は様々です。
練上で用いる色土の収縮率を同じにする為に研究を重ね、独自の技法を世の中に発表して陶芸界に新しい面を切り拓いた松井康成の功績は人間国宝に認定されるのにふさわしい人物と言えます。
金森映井智は「彫金」にて1989年に国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された金工師です。
金森映井智は1908年に富山県の高岡市に生まれました。高岡市は鋳物産業が有名であり、大澤光珉を輩出した街としても有名です。そういった土地柄もあってか金森映井智は小学校を卒業した時には銅器工芸の職人として生計を立てていこうと決意します。しかし、内島市平の勧めもあったこともあり富山県の金工に新風を巻き起こした富山県立工芸学校へ入学します。同校を卒業後は内島の内弟子となり二年間彫金の技術を修行した後に職人ではなく作家としての道を歩んでいく事になります。
1933年に第14回帝展にて「胴張型青銅花瓶」が初入選したことを皮切りに帝展や文展、日展を中心に入選を果たしていき、高い評価を受けていき、そういった数々の功績を称えられた結果、1980年に勲四等瑞宝章を、1989年には「彫金」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
金森映井智の作品は鋳銅製で主に花器を制作しており、花器には具体的な表現は似合わないとの考えから直線や曲線を使用した幾何学的な表現を主にしておりました。高岡の伝統である浮象嵌を中心に様々な象嵌技法を組み合わせて現代的な感覚を持ち合わせた作風が特徴的であるといえるでしょう。
芹沢銈介は静岡県出身の染色工芸家で、人間国宝にも認定されています。
芹沢は、1895年の春の終わりに生誕しました。
その後東京高等工業学校に入学し、図案科卒業後に柳宗悦氏に出会います。
芹沢と柳宗悦の関係は生涯続く事となります。
芹沢が染色の道に進むきっかけとなったのは、沖縄の染め物である「紅型(びんがた)」に出会ったことです。「紅型」に感銘受けて紅型の工房に通うようになり、型染を主軸とした染色の道を歩み始めました。
染色家としての芹沢は天賦の才を持っており、豊かな色彩感覚と型に囚われない斬新な構図等で、今までにない大胆で新しい作品を次々と発表していきました。
芹沢の先進的で、なおかつ温和な作風は美術界において高く評価され、1956年に国の重要無形文化財(人間国宝)「型絵染」の保持者に認定されました。
また、芹沢作品は国内だけにとどまらずに海外でも高い評価を受けております。パリで大きな個展を開いた際には大成功をおさめ、同年には文化功労章も送られました。
現在においても独特とされる作風は、なお多くの人々に愛されています。
須田賢司は1954年に東京都に生まれた木工芸師です。
指物師を二代にわたって営む家庭に生まれた須田賢司は、東京都立工芸高校を卒業した後に父である桑翠に師事すると同時に母方の祖父である山口春哉より漆芸を学びます。1975年に日本伝統工芸展に初入選を果たすと、その後は1985年第2回伝統工芸木竹展にて文化庁長官賞、1992年の第5回伝統工芸木竹展にて朝日新聞社賞、1994年の第41回日本伝統工芸展にて日本工芸会奨励賞、2006年の第53回日本伝統工芸展にて朝日新聞社賞、2008年の第55回日本伝統工芸展にて日本工芸会保持者賞を受賞する等の数々の実績を残します。
その後、文化庁文化交流士としてニュージーランドへ派遣され、2008年には紫綬褒章を受章、2014年には「木工芸」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されます。
須田賢司の作品は「清雅」をテーマとして、個性的かつ風雅な趣のある繊細な作風が特徴的であり、また作品名も独特です。これは音楽などが作品名があると楽曲の主旨が理解しやすいことと同じで、須田賢司の思いが伝わるようにとの思いが詰まっているので、作品をご覧になる際は作品名の意味を辿るとより作品の理解が深まるのではないでしょうか。
「髹漆」という漆芸の漆を塗ることを意味する技法で2002年に国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された漆芸家に大西勲という職人がいます。
大西勲が作る作品はどれもこだわりを持っており、見るものを魅了します。
大西の得意としている技法には「塗立て」という表面を磨かないという高度な技法、また素地にも強いこだわりを持っており曲輪造という薄い檜板を曲げた輪を何重にも隙間のできないように重ね合わせて漆を何重にも塗るといった非常に手間のかかる高度な技法で制作を行っております。
この曲輪造こそが大西勲の作品を表すといっても過言ではなく、年に数点しか作品を作ることができない為、作品はあまり出回っているものではないからこそ、人々を魅了し続けています。
また、人間国宝として認定を受けてからは「作家」と呼ぶ人が増えたそうですが、大西勲自身は「漆職人」であるというプライドもって制作をしている人物です。