木村圭吾(きむら けいご)は、昭和十九年(1944年)に京都府京都市深草に生まれた日本画家です。中学時代から画家を志し、山村眞備に師事して日本画の基礎を学びました。その後、京都市立日吉ヶ丘高等学校日本画科を卒業し、さらに日本画家・山口華楊に師事して修業を積みました。
昭和四十九年(1974年)、シェル美術賞展で佳作賞を受賞し、画壇での評価を高めました。昭和六十年(1985年)には第8回山種美術館賞展に招待出品し、以降も数多くの展覧会に出品しています。平成九年(1997年)には「鐘韻燦花 一遥かなる旅路 一」の画集を出版し、平成十一年(1999年)にはNHK大河ドラマ「元禄繚乱」の装画を担当しました。
平成十三年(2001年)には、大阪府にある法樂寺の障壁画が完成し、同年に「法樂寺障壁画完成記念展 一木村圭吾 日本画の世界」が大阪で開催されました。平成十四年(2002年)には奈良県の薬師寺に散華を奉納し、平成十五年(2003年)には静岡県長泉町に「木村圭吾さくら美術館」を開館しました。
木村圭吾氏の作品は、日本各地の風景を題材にし、日本画が持つ柔らかさや安心感を表現しています。特に桜や富士山などの伝統的なモチーフを描いた作品が人気で、技術の研鑽と対象物を画面上に落とし込む力量が作品のクオリティに反映されています。
石踊達哉は1945年生まれの日本画家です。
満州で生まれ、終戦後日本に帰国して鹿児島で18歳までを過ごしました。
その後は名門・東京藝術大学へ進学し、大学院まで進みました。卒業後はシュルレアリスム色の強い人物画にこだわり、制作していました。しかし1988年、パリ移住しリュクサンブール公園の前にアトリエを持って以後、フランスの文化に触れ続けるうちにかえって日本の伝統的な美の魅力に気付き、花鳥風月をテーマにした作風へと転換しました。
作風としては「平成琳派」とも称される、金箔やプラチナ箔を基礎とした装飾性の強いタッチと、純日本的な花鳥風月のモチーフが特徴となります。
石踊達哉は、国際性を持つ美とは日本画でしか成し得ない表現を通してこそ生まれる、と言います。彼は、日本の伝統美に溢れた自身の絵画を国内に留まらず発表し、日本的美を世界に向けて発信してきました。
古典性と華やかさをモダンに描き上げた石踊達哉の絵画は、広く世界で親しまれています。
金島桂華は広島県出身の日本画家です。
14歳の時に大阪に出て、西家桂州や平井直水といった画家のもとで日本画を学びました。
19歳で京都に移り、竹内栖鳳の画塾「竹杖会」に入門します。1918年の第12回文展で初入選すると、以後は帝展で何度も特選を受賞するなど評価を高めていきました。
また教育面での貢献も大きく、京都市立美術工芸学校で10年指導に携わり、画塾「衣笠会」を主宰して後進を育成しました。
金島桂華が得意としたのは花鳥画です。師・竹内栖鳳を思わせる端麗な写実性をもって描かれる花鳥は柔らかさと厳格さを持ち合わせており、崇高な和の美を感じさせます。細やかな観察から描かれたモチーフは、眺めているうちにその造詣の深さを現し、気がつくと桂華の世界観に入りこんでいくかと思います。
日本画の在り方を強く示す作品群は今なお高い評価を持ち、根強い人気を獲得しております。
日本画家の森田沙伊は1898年に北海道で生まれました。本名は才一です。幼い頃に四条派の画家佐々木蘭斎に学ぶます。1917年に上京し、川端画学校に入学します。東京美術学校で川合玉堂、結城素明に師事します。1928年帝展初入選します。帝展や文展に数多く出品します。美術人社を結社して、季刊「美術人」を創刊します。戦後は、日展中心の作家として活動し、59年日本芸術院賞を受賞します。1993年95才でこの世を去り、明治、大正、昭和、平成と4つの時代を駆け抜けていった作家になります。森田沙伊の作風は独自の構成となっており、明るくはっきりとした色彩を使い、他の作家には見ない画風を展開します。
児玉希望は大正から昭和にかけての日本画壇で大きな足跡を残した児玉希望は、広島県安芸高田市に生まれ、上京して川合玉堂に絵を学びました。1921年に画壇の登龍門であった帝国美術院展覧会に初入選、その後も入選を続け、1928年、1930年には最高賞である特選を受賞、帝展、新文展、日展という大舞台で存在感を示し、日本芸術院会員、日展評議員として東京画壇を牽引しました。生涯ひとつの画風に陥ることなく、常に新しい表現に挑み続けたため、その作品はひとりの画家によるものとは思えないほど多彩です。花鳥画や歴史画と範囲を広げ、戦後には、西洋絵画の摂取・融合を試みて色没骨法の実験を行うなど、晩年まであくなき探究を続けたことでも知られています。
緑和堂では、児玉希望の作品を強化買取中でございます。売却を検討されたい作品がございましたら、お気軽にお問い合わせください。
堂本印象は1891年京都生れの日本画家です。本名三之助です。1910年京都市立美術工芸学校を卒業後、しばらく西陣織の図案描きに従事し、1918年、日本画家を志し て京都市立絵画専門学校に入学します。1919年に初出品した「深草」が第1回帝展に入選します。第3回展では「調鞠図」で特選、また、第6回展の「華厳」では帝国美術院賞を受賞するなど一躍画壇の花形となりました。絵画専門学校の教授として、また私塾東丘社の主宰者としても多くの後進を育成、1944年、帝室技芸員となりました。
戦後は、独自の社会風俗画により日本画壇に刺激を与えました。1955年以降は抽象表現の世界に分け入り、その華麗な変遷は世界を驚かせた。多くの国際展にも招かれ、1961年には文化勲章を受章しました。
緑和堂では、堂本印象の作品を強化買取中でございます。売却を検討されたい作品がございましたら、お気軽にお問い合わせください。