こちらにご紹介しているのは特に力をいれている作家になります。
掲載のない作家の作品も買取いたします。

長野 垤志

1900年(明治33年)10月28日~1977年(昭和52年)、愛知県生まれ昭和時代の釜師になります。初めは洋画家を志したが、鋳金に転じ、山本安曇ついで香取秀真に師事しました。1927年(昭和2年)帝展に初入選し、193 …

高野 松山

1889年(明治22年)5月2日~1976年(昭和51年)3月5日、熊本県出身の日本漆芸家になります。幼少期より細工に興味を持ち、地元熊本の工業徒弟学校で漆芸を学びました。その後京都市立美術工芸学校(現在の京都市立芸術大 …

守住 貫魚

文化6年7月11日(1809年8月21日)~明治25年(1892年2月26日)、幕末から明治初期の日本画家になります。現徳島県徳島市明神町で、徳島藩の鉄砲方・庄野(または新居見)幸次郎延知の子として生まれます。1824年 …

岸 竹堂

文政9年4月22日(1826年5月28日)~明治30年(1897年)7月27日は、日本の幕末から明治時代に活躍した日本画家。岸派の4代目で、明治期の京都画壇で、森寛斎、幸野楳嶺とともに3巨頭の1人に数えられた画家になりま …

狩野 永悳

文化11年12月15日(1815年1月24日)~明治24年(1891年)1月29日幕末から明治期の狩野派の絵師になります。安土桃山時代を代表する絵師で、狩野永徳と同じ読みであるが、別人になります。江戸木挽町に生まれる。狩 …

堅山 南風

1887年~1980年、熊本県熊本市出身の日本画家で、本名は堅山熊次。横山大観に認められ、院展、日展等で活躍した作家。花鳥画、特に鯉を中心とする秀逸な魚類を描いた作品が有名。1914年の日本芸術院再興にも加わり、銅芸術院 …

狩野 探幽

江戸時代初期の狩野派の絵師で京都生まれ。狩野孝信の子になります。早熟の天才肌の絵師と評され安土桃山時代までの狩野派に典型的な、豪奢で迫力を感じさせる画風とは異なり、「淡麗瀟洒」と評される、簡明で余白を巧みに活用した作風を …

高村 光雲

高村光雲は、1852年の江戸下谷(現・台東区)出身の仏師、彫刻家です。 上野公園にある西郷隆盛像や、皇居の楠木正成像の制作に関わったことで知られています。 1863年、行きつけだった床屋の口利きから仏師・高村東雲に師事し …

肥前 保廣 日本刀

元村 保廣

日本刀は江戸期の佐賀藩の主要産業の一つに数えられますが、その中で特に重要な地位を占めたのが御用刀工であった肥前国忠吉です。肥前刀の特徴である「小糠肌」と呼ばれる地鉄を生み出し、多くの弟子を輩出しました。 元村保廣もこの肥 …

諏訪 蘇山

明治から現在まで続く青磁陶芸の作家である諏訪蘇山。初代が高麗青磁を研究し作りあげた京焼青磁は当代まで受け継がれ、刷毛目や練り込みを用い、より現代的な姿へと進化しました。 初代蘇山は加賀の武士の家に生まれ、公務員・水産業・ …

秋野 不矩

インドに魅せられてインドの風景、寺院、人々を描いた日本画家として有名なのは秋野不矩でしょう。 1908年に静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)に生まれた秋野不矩は女学校に通いながら絵の勉強をしており、19歳の頃 …

吉田 美統

吉田美統(よした みのり)は、人間国宝に認定されている九谷焼の陶芸家です。 石川県小松市にある錦山窯の三代目として生まれ、高校生の時に陶芸の修業を始めました。しかし当時、戦後ということで釜の燃料が少なく、値上がり防止のた …

天野 喜孝

天野善孝は静岡県静岡市出身の現代アート作家・イラストレーターです。 1967年にタツノコプロに入社し、「タイムボカン」シリーズのキャラクターデザインを手がけました。担当したキャラクターを上げればキリはありませんが、代表と …

奥村 吉兵衛

表具師として千家十職に名を連ねる奥村吉兵衛は江州(滋賀県)の武士の家系であったが京へ上り、正保3年(1646年)母方の家業の表具師を継いだ。承応 3年(1654年)に表具屋業を開業。屋号を「近江屋吉兵衛」とした。吉兵衛と …

森 狙仙

 森狙仙は、江戸時代後期に大阪で活躍した絵師です。狩野派や円山派を踏襲した写実を基調とする独自の画風によって知られています。はじめ、勝部如春斎について狩野派の技術を学び、如寒斎と号しました。天明4年(1784年)師の如春 …

山口 華楊

山口華楊は、京都府出身で中京区で生まれました。幼い頃より粘土や筆で動物を写すことを好いており、明治45年小学校を卒業後、岸竹堂竹内栖鳳の弟子の西村五雲に入門しました。病弱であった師五雲のすすめで大正5年に京都市立絵画専門 …

前田 昭博

前田昭博は「白磁」で国の重要無形文化財に認定された陶芸家です。 1954年に鳥取県に生まれた前田昭博は、小学校2~3年生の際に学校の教員をしていた父が木版画を始め、その後ろ姿を見てモノを夢中になっているところがうらやまし …

山口素絢 掛軸 山犬図

山口 素絢

江戸期の京都で隆盛を誇った日本画流派である円山応挙を祖とする「円山派」。山口素絢は応挙の弟子として円山派を代表する絵師「応門十哲」にあげられる人物です。 美人画を得意とし、優美な女性像を描き人気を博しました。一方花鳥画や …

飛来 一閑

一閑張細工師を生業とする飛来家の祖は,中国の出身で中国の動乱期に清の進行を避けるため日本に亡命しました。中国では学者として過ごしていた一閑は古代中国技術である乾漆工芸の印可を受けた技術者でもありました。そんな一閑は大徳寺 …

岩田 久利

日本におけるガラス工芸の先駆者である岩田藤七、その長男として自身も父と同じ道を進むことなったのがガラス工芸家、岩田久利です。 久利は1925年、東京美術学校を卒業してまだ間もない藤七の子として生まれました。父と同じく東京 …

天田 昭次

現代における刀匠としての最高位である重要無形文化財保持者(人間国宝)の一人が天田昭次です。昭和2年に本田村(現岐阜県)に生まれ、日本刀鍛錬伝習所に入門、若くから頭角を表し、新作名刀展で3度の正宗賞の受賞、20年ごとに行わ …

土田 友湖

土田家の祖先は元々武士の家系で初代彦根藩主 井伊兵部大輔直政に仕官し、鉄砲組頭を務めていた家系と伝えられています。後に土田家の初代となる土田友湖は、本来家督を継ぐ予定であった実母が早くに亡くなったため、家督を継母の子に譲 …

大西 清右衛門

1500年代後半から400年以上続く窯氏の家系、大西家の当主の名が清右衛門です。清右衛門という名は世襲制の名で大西家4代当主大西浄頓以降に、9代大西浄元を除き代々襲名しています。現在の当代は16代大西清右衛門です。 大西 …